雲の墓標

文学

 先日NHKの「坂の上の雲」第3部を見てふと思い立ち、久しぶりに阿川弘之「雲の墓標」を読み返しました。

 京都大学で万葉集を学ぶ主人公が、学徒出陣で兵隊となり、特攻隊員として散るまでの心境を、日記形式でつづった名作です。
 主人公は当初戦争にも軍隊にも強い嫌悪の念を抱いていますが、時の流れとともに心境は変化し、特攻隊員となる頃には死への恐怖すら薄れていきます。

 日露戦争のように辛くも勝利した戦争と違い、必敗の可能性が濃厚になった頃、主人公の魂が救われるという逆説的な物語。
 現実の特攻隊員の多くが恐怖におののきながら出陣していったものと思われますが、そう思うことは英霊への冒涜にもなりましょう。
 同世代を生きた作者には、そう書かざるを得なかったものと思われます。

 そういう意味で、戦後、大日本帝国を全面的に否定する論調が流行したことは、唾棄すべき事態であろうと考えます。

 物事の善し悪しはともかく、祖国が存亡を賭けて戦っているとき、国民が勝利を信じて戦うのはむしろ当然のことで、一人日本だけが、近代帝国主義国家にも関わらず、戦っているそのさなかにそれを否定するわけがありません。

 後世の異なる常識を以て過去を断罪することは、天に唾することに他なりません。

 それにしても「雲の墓標」というタイトル、秀逸ですねぇ。
 私たちが地上から眺める雲、そして旅客機にのって入り込む雲とは、まったく違った意味をもっている、その雲。
  また、明治の人々が眺めた「坂の上の雲」とも異なっているでしょう。
 
 特攻で散った若者の仲間や家族にとって、遺体が帰ることはなく、ただ空に浮かぶ雲だけが、彼らの墓標であると考えるとき、雲の持つ重みは否が応でも私たちの胸に突き刺さります。

 91歳になろうとする阿川先生、惜しくも引退を宣言されました。
 もはや書くべきことは書きつくしたということでしょうか?

雲の墓標 (新潮文庫)
阿川 弘之
新潮社

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