震災から二カ月以上過ぎて、なんとなく不思議に思うことがあります。
被災した方々が宗教に期待していないというか、関心がないというか。
昔から苦しい時の神頼みといいますよね。
多分欧米などだったら、廃墟と化した教会に集まってお祈りしたり、アラブ人だったらメッカの方を向いて膝まづいたりするのでしょう。
慰霊祭などで僧侶がお経をあげていれば手くらい合わせるのでしょうが、自然と宗教的感情が高まってくる感じがしないんですよねぇ。
大自然の猛威に触れ、家族や友人が犠牲になり、人間の無力をいやというほど思い知らされたとき、神であれ神々であれ如来であれアッラーであれ、何か人智を超えたものにすがりたくなるのが人情ではないでしょうか。
以前、このブログで、世界保健機関(WHO)では、肉体的・精神的・霊的に充足している状態を健康とよぶ、と定義しており、霊的という言葉は宗教的と意訳したほうがよい、と書きました。
しかし震災が起きてみて、日本人は基本的に霊的にも宗教的にも充足を求めていないのではないかと感じます。
日本人の多くは、時と場合によって、仏教徒のようにふるまったり、神道信者のようにふるまったり、クリスマスや結婚式などではクリスチャンのごとくふるまったりします。
よく言えばおおらか、悪く言えばいい加減。
それはわが国の思想的・宗教的寛容の精神の表れであり、美風であろうと考えてきました。
しかしこのような未曽有の災害に襲われた時、理屈抜きで縋れる人智を超えた存在を共同体として持っていないというのは、不幸なことなのではないでしょうか。
仏教も神道も日本人の精神の奥深くに食い込み、そのせいかとくだん意識もしなくなり、葬式だか初詣だかのときに行くところ、となってしまいました。
既成仏教教団も既成神道教団も、日本人の心の問題については、精神科医だか占い師だかに任せて近寄らないように見えます。
深遠な思想を持った巨大な教えである仏教、自然崇拝や祖霊崇拝を起源とする清らかで明るい神道。
この二つが、再び日本の思想をリードするとき、私たちは新しい次元に到達できるような気がします。
それを、震災後の黙示的な世界が、わが国民に語りかけているようです。
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