高齢引きこもり

社会・政治

 引きこもりが社会問題になり始めて、もう20年以上が経ちますね。
 当時はまだ20代か、せいぜい30代前半の若者の病理と考えられ、引きこもりから脱出し、仕事に就くにはどうすれば良いか、といことが盛んに論じられていました。

 ところが今、引きこもりから脱せないまま、50代に突入する者が数多くいるそうです。
 親も高齢化し、親は自分が亡くなった後、働いた経験が無いまま50代を迎えた子が、どうやって生きていけばいいのか、絶望的な気持ちになっているとか。

 それはそうでしょうねぇ。

 自室に籠もって魂の漂流を続け、永遠の思春期を生きてきたような人が、親が死んだからと言って途端に就職活動を始めるとは考えにくい上、仮に就職活動を始めても雇ってくれる会社を探すのは至難の業でしょう。

 そこで最近、引きこもりをどう脱して社会復帰するか、ということはもはや諦め、永遠の思春期のまま、寿命尽きるまで生きるにはどうすれば良いか、という論点に変りつつあるようです。

 その嚆矢となったのが、最近出版された「引きこもりのライフプラン」

 この本、良い悪いは別にして、じつに懇切丁寧に親の遺産がどれくらいならこうやって子が生きていけるように資産運用せよ、といったことが実際の金額を入れて指南してくれています。
 生きるために究極の脛かじり法を伝授してくれるのです。
 
 人の生き方は様々で、幸せの感じ方も千差万別。
 出世が生きがいの人のいれば、金儲けが無上の喜びという人もおり、仕事は最低限の生活費を稼ぐためのものと割り切って趣味の世界に没頭することを良しとする人もいます。

 趣味といってもスポーツが好きな人、読書を好む人、映画や芝居を観ることが大好きな人、絵を描くことや俳句をひねることに没頭する人、酒が何よりの楽しみであるという人、ギャンブルをやっている時だけが生を実感できる人、じつに様々です。

 また、結婚して子どもをもうけるという昔ながらの家族形態を選ぶ人、生涯独身を貫いて、独身貴族を謳歌する人、永遠の恋人のごとく夫婦二人の生活を楽しむ人、そして積極的に選んだのではないにせよ、親元で仕事もせずに引きこもりのまま老いていく人など、そのライフプランも様々です。

 もちろん、自分が思い描くライフプランを実行できる人もいれば、うまくいかない人もいます。
 子どもが欲しいのに不妊治療をしても子宝に恵まれなかったとか、婚活を10年も続けながら良縁に恵まれないとか、夫婦の仲は冷めきっているのに子どものことや世間体を考えて別れずにいる人とか、世の中思い通りにいかないことが少なくないことは誰もが経験しているでしょう。

 その中でも、ついに永遠の思春期から抜け出せず、引きこもりのまま高齢を迎えるというのは、おそらく少年少女時代に思い描いた未来とはおよそかけ離れたものであるでしょう。
 数十年に及ぶ引きこもり生活での様々な葛藤は、想像を絶するものがあります。

 できればカウンセリングや、場合によっては精神科医の診察を受けることによって改善される人も多かろうと思いますが、得てしてそういう人は精神的な病いを疑うことすらないのでしょうね。

 欧米人はちょっとしたイライラやストレスを感じると、気軽に精神科を受診すると聞きます。
 わが国ではまだ精神科を受診することに対する敷居が高いようで、風邪薬を飲むように気軽に精神安定剤や抗うつ薬を飲むということがありません。
 薬を飲めばずいぶん楽になるのにもったいないことです。
 昔と違って、今の精神病薬は副作用も少なく、安全なのに。

 50代に突入してしまった引きこもりも含めて、これを社会問題としてよりも、メンタル・ヘルスの問題として捉えたほうが、より効果的だと私は考えています。

ひきこもりのライフプラン――「親亡き後」をどうするか (岩波ブックレット)
斎藤 環,畠中 雅子
岩波書店


にほんブログ村


本・書籍 ブログランキングへ