先日、30歳くらいの男性職員が、「仕事は楽しくやりましょう」とほざいていました。
半端に経験を積んで自信をつけたものと思いますが、仕事が楽しくできるものだと思っている段階でケツが青いとしか言いようがありません。
もちろん、仕事が楽しいと感じる瞬間はあるでしょう。
しかし概ね、仕事は苦しいものです。
おそらく好きなことを仕事にして、しかも高額の報酬を受け取っている人、例えばプロ野球のスター選手だって、躁状態に陥っているとしか思えない異様なハイテンションでテレビでふざけているタレントだって、いつも楽しく仕事が出来ているはずがないと想像します。
仕事は結果がすべて。
楽しくやろうが苦しんでやろうが、努力しようが手を抜こうが、うまくやれば良いのです。
良い結果が出せるのなら、楽しく、しかも手を抜いて、なるべく楽に仕事をこなすのが理想でしょうねぇ。
健康にも良いし。
子どもであれば教育上の要請から、努力する過程が評価されることもありますが、それだって試験の結果が悪ければ通知表には低い数字が並びます。
禅の世界では、半端に修行を積むと、なんだか悟りを開いてしまったかのような境地に陥ることがあるそうです。
禅ではこれを魔の境地ということで、魔境と呼んで戒めるそうです。
戯言をほざいた青年職員、魔境に落ちてしまったようです。
しかし私はそれに対し、微笑みつつ、「そうありたいねぇ」と応えました。
恥ずかしながら私にも身に覚えがあるからです。
半端に経験を積んだ頃、天下を取ったような気分になって毎日が楽しかったことが。
車の運転でもそうですね。
ちょっと慣れた頃によく事故を起こします。
しかし18歳で免許をとって26年たつベテランの私は、年々車の運転がいかに危険で怖ろしいかということを思い知らされます。
大きな事故を起こしたことはありませんが、ヒヤッとしたことは何度もあります。
遊んで暮らせる身の上ならばともかく、食うためには馬鹿馬鹿しいと思うことでもそれを表に現さず、さも重要なことであるかのような顔をしたり、また、しんどくてもさも簡単なことであるかのような顔をしたり、様々に猿芝居を繰り広げなければ我々庶民は生活していけなくなります。
まぁ、魔境に落ちたとしても、さらに仕事を続け、経験を重ねれば、結局は分を弁えて、立場に相応しい芝居を続けるしかないことを実感するでしょうねぇ。