3.11 あれから11年 

社会・政治

 今日は3月11日。
 東日本大震災の日です。

 思えばその時、私は職場復帰していくらも経っておらず、管理職の配慮により、暇な部署でのんびり過ごしていました。

 ところが午後2時過ぎだったでしょうか、強い揺れが起こり、職員は急遽玄関前の庭に避難するよう放送で命令がありました。
 直後、私鉄、JR、バスなど、あらゆる交通機関が完全にストップしていることが判明。
 建物に大した損傷はありませんでしたが、即時帰宅が命じられました。
 
 しかし公共の交通機関が動いておらず、帰るに帰れない者たちは、職場に段ボールを敷いて眠るしかありませんでした。

 私は車通勤でしたが、普段なら30分で着くところ、激しい渋滞でわずか14キロの距離に5時間もかかりました。
 途中休憩のためコンビニに寄ったのですが、早くも水やおにぎり、弁当などは全て売り切れで、トイレにも長蛇の列。
 その時は東北の惨状など知る由もなく、何が起きたのか分かりませんでした。

 帰宅してテレビを見て初めて、大地震や津波によって、東北地方はひどいことになっていると知りました。
 特に津波に流されていく車や家屋には、ひどいショックを受けました。 
 復職して間もない私は、精神がやっとかさぶたに覆われたような状態で、人の悪意にひどく感応してしまうことは自覚していましたが、他人の不幸にも激しく心を痛めつけられるのだと知りました。

 その後何日も職場は開店休業状態となりました。

 その時は民主党政権下で、菅直人が総理大臣でしたが、あまりの狼狽ぶり、無能ぶりに全国民のみならず全世界が呆れ果てました。
 
 最高指揮官たる総理大臣が官邸を留守にして被災地を訪れては被災者を励ましたり、東京電力に乗り込んでは幹部を怒鳴りつけたり。
 その間刻々と上がってくる報告や、指示を求める声に、官邸は悲鳴を上げていたはずです。
 危機の真っ最中に総理大臣が現場を訪れるなど有りえないことぐらい、子供にだってわかるというもの。  

 活動家あがりの政治ゴロに危機下の国家を舵取りする能力は無かったようです。

 一方、被災者たちが、全く暴動や略奪を起こさないことが、世界のメディアを驚かせ、また称賛されていました。
 日本人の国民性だとか言っていましたが、だだでさえひどい状況で、暴動や略奪を起こす気力も体力もなく、そんなことをしても誰も得をしないと分かっていたからでしょうね。

 あれから11年。 

 着実に復興は進みましたが、まだ行方不明の方が多くいると聞きました。
 もはや存命ということはなかろうと思いますが、海中などで、細々と捜索活動が続いているそうです。
 骨のひとかけらでも見つかれば、ということでしょうか。

 この11年、私個人にとっても、日本あるいは世界にとっても、長い年月でした。
 自然災害の恐ろしさを痛感させられました。

 そして、今。

 ロシアはウクライナに侵攻し、破壊の限りを尽くしています。
 ロシアは局地的な小型核兵器の使用を検討しているらしいと報道で見ました。 
 なんとも愚かな人災です。
 ロシアはウクライナを軍事小国と侮って攻め入ったのでしょうが、侵略されている側は必死で戦いますから、簡単に降伏せしめることはできません。

 天災と違い、人災は防ぐことが可能なはずですが、当事国のどちらかが戦うことを決意してしまった場合、なかなか簡単にはいきません。

 ウクライナの姿を見るにつけ、勝てないまでも負けない軍事力を持つことが、わが国が平和を保つ第一歩だと感じます。
 相手国が戦うことを決意できなくさせるように。