今日は七夕なのですね。
七夕だからと言って、何をするでもなし、何かを願うわけでもなし。
ただの平日に過ぎません。
思えば私は何を願って生きてきたのでしょうね。
10数年前は、精神障害の克服を願って、それは服薬を続けながらですが、ほぼ叶いました。
その前はもっと大それたことを考えていましたが、大それたことだけあって、叶いませんでした。
では、今は?
それが、じつはよく分からないのですよねぇ。
宝くじがあたって、何億円も手に入れたいとか、そんな途方もないことを考えることはありますが、当たるわけがないのです。
買っていませんから。
仕事でなるべく楽したいとは思いますが、楽して給料をもらえるわけもありません。
コロナが収まってほしい、とは思います。
コロナのせいで世界は変わってしまいました。
もう元には戻らないでしょうけれど、ここらで収束してくれれば、少しはマシでしょう。
本当のところ何を願っているのでしょうねぇ。
早く引退したいとは思いますが、まだちょっと早いような。
引退したら暖かい南国に住みたいとは思いますが、あまりに茫漠としていて、実現する気がしません。
結局のところ、具体的な願い事なんて無いようです。
それは満たされていてこれ以上の願い事が無く、幸せなのか、夢も希望もなくて不幸なのか、どっちなんでしょう。
夢も希望もないから無駄な期待を持つことが無く、白けていて、だけどそこそこ幸せ、というのが正直なところです。
幸福か不幸かなんて、しょせんは、心の持ちよう一つ。
私の義母は、口を開けば「自分は不幸だ」とぼやきます。
幼いころ東京大空襲で母親と妹を亡くし、父親も高校生の頃病死したとなれば、家族には恵まれなかったと言えます。
80歳になって夫に先立たれ、生涯初めての一人暮らしですから、寂しいんでしょうね。
実の娘は現役で働いていて、電話は毎日かけていますが、実家を訪れることは稀だし、孫の顔を見ることはなかったし今後見ることもない。
自分を憐れみたくもなるでしょう。
しかし、世界一不幸みたいなことを言われると、それは言い過ぎのような気がします。
思えば25年も前に亡くなった私の祖母も、「こんなに寂しい老後になるなんて思っていなかった」とぼやいていましたっけ。
老人特有の心持ちなのでしょうか。
七夕の今宵、80歳を過ぎた義母は何を願うのでしょう。
ネガティブな思い癖が無くなれば良いと、義理の息子は思います。