冒険家で知られる三浦雄一郎が80歳にしてエベレスト登頂を成し遂げましたね。
見事という他ありません。
知りませんでしたが、この人、某高校の校長を勤めているとかで、生徒たちも抱き合って喜んでいました。
青少年が野望を抱くのは結構なことです。
私はなにしろ上り坂を登ること、走ること、待つことが大嫌いなため、山登りなど考えただけで笑う他なく、現に山登りをしたことがありません。
強いて言えば、山頂近くまで車で登れる鋸山と、やはり山頂近くまでロープウェイが通じている高尾山に行ったことがあるくらいですかねぇ。
とても登山とはいえません。
あ、それと、山形の山寺に詣でたことがありましたが、急な階談を無理して登ったため、足を痛めてしまいました。
人間無理はいけません。
そういう私には、80歳という老境に達して、世界最高峰で酸素が平地の三分の一しかないというエベレストに登るなど、正気の沙汰とは思えません。
彼の生徒たちは、努力すれば夢はかなう、という誤ったメッセージを受け取り、多くが人生を誤ることでしょう。
生きるということは、つまらぬ平凡な日常の繰り返し。
その繰り返しに耐えることこそ、飯の種を得る手段と言えるでしょう。
多くの人々がそれに耐えることによって社会は成り立っています。
夢や野望をたきつけることは、無限の可能性を秘めた青少年には有効かもしれませんが、いつか、それは夢幻であったと知り、絶望しながらも日々を誠実に生きるほか、生きようが無いことに気付くでしょう。
それにしても冒険家と言われる人々、頭のネジが一本抜けているような気がします。
本来人間は、危険には近づかないようにできているはず。
そうでなければ、どいつもこいつもあたら命を落とすようなことを繰り返し、人間は絶滅するでしょう。
しかし世の中にはごくわずかではありますが、天才とでも言う他ない人がいて、そういう人だけが、夢や野望を達成でき、しかも人というものはおのれの狭い経験でしか物を語れないようにできているため、自分が出来たんだから誰でもできると勘違いして、他人をたきつけるようなことを平気で口にするのでしょうねぇ。
迷惑な連中です。
よく小中学校の図書室などに、「偉人伝」みたいなものが置かれています。
しかし私は、凡人だが、誠実に、地道に人生を全うした「凡人伝」をこそ、読ませたいと思います。
「偉人伝」を読んで感化され、自分も偉人になってやる、という誤った考えを改め、凡人でも誇り高く、立派に生きれば良いのだと、思ってほしいのです。
もっとも、私がそう思うのはおのれが凡人ゆえ。
結局私も私独りの狭い了見からは抜け出せないようです。
それはそれとして、偉人たる三浦雄一郎の偉業を賞賛したいと思います。