9.11

社会・政治

 9月11日。
 嫌でも思い出します。
 米中枢同時テロ。

 旅客機でニューヨークのビルに突っ込むなど、誰が想像し得たでしょう?
 まして2機も。

 遅い夏休みを取って山形旅行に出かけ、帰ってきた晩の出来事でした。
 疲れて早寝した私を、テレビを見ていた同居人がたたき起こしました。
 大変なことが起きている、と。

 テレビは旅客機が突っ込む映像を繰り返し流し、ついには高層ビルは瓦解したのでした。
 戦争にも自然災害にもあわずに呑気に暮らしていた私は、言いしれないほどの恐怖と衝撃を感じました。

 その後ブッシュ大統領はテロとの対決を掲げ、アフガニスタンに介入し、さらにはイラク戦争を引きおこしました。
 ビン・ラーディンを殺害して遺体を海に投げ捨て、イラクのフセイン大統領を処刑しました。

 ここで止めておけば良かったものを、テロ後20年にわたってアフガニスタンでの戦争を続け、このたび匙を投げたのか、米国はアフガニスタンから撤退してしまいました。

 20年も戦争を続けたことも、アフガニスタンを見捨てたことも、米国の失政としか言いようがありません。

 アフガニスタンに残されたのは、タリバンによる、おそらくは恐怖政治。

 20年たっても、イスラム過激派を駆逐することは出来ず、多くのテロリストは今も米国とその同盟国を虎視眈々と狙っていることでしょう。

 わが国もいつ標的にされるか分かりません。
 悲しいかなわが国は、軍事的には米国の言いなりですから。

 思えば20年前、世界は冷戦終結から約10年の、いわば夢の世界でまどろんでいたと言えるでしょう。
 甘美な夢からたたき起こしたのは、共産主義でも国家主義でもなく、どれだけの力を持っているのか誰にも分からない、テロリスト達でした。

 世界平和という夢は、過去いつもそうであったように、潰え去ったのです。 

 あれから20年。

 当然ですが、32歳だった私は52歳になりました。
 生まれた子供が成人するほどの長い年月です。

 それでも、タリバンもISも相変わらず強い力を持っています。
 国家間の戦争と異なり、テロリストは参りました、と言うことがありません。
 どれだけのテロリストを殺害し、アジトを破壊しても、彼らは必ず生き残り、再び力を蓄え、牙をむくのです。

 この厄介な存在を駆逐することは不可能で、だからこそ米軍は撤退の決断をしたのでしょう。

 今後、アフガニスタンはどうなるのでしょう。
 タリバンは、イスラム法の範囲内で、女性の社会参加や自由を認める、と言います。

 イスラム法の範囲内なんて、解釈しだいでどうにでもできます。

 私たち自由主義国家に暮らす者が当たり前に享受している自由や民主主義。
 しかしこれらは、普遍的価値ではあり得ません。

 北朝鮮やレッド・チャイナ、ミャンマー、名前すらわからないアフリカ等の独裁国家。
 これらの国々にはそれぞれの正義があって、それを私たちの価値観で断罪することは出来ません。
 価値観の押し付け合いなど、無駄な努力です。

 当然、私たち庶民にはどうすることもできないし、総理大臣にだってできません。
 アフガニスタン撤退で、米国大統領ですらどうにもできないことを見せつけてしまいました。

 世界は混沌としたままです。
 政治家は知りませんが、私たち庶民は、ただ祈ることしか出来ません。
 
 それも深いため息とともに。