2014-04

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仕事

なんだか今日はあまり急いでやらなければいけないことが無くて、暇でした。 先々のことを考えて、早手回しに色々やっておけば良いのでしょうが、そこは私も人間。 お尻に火がつかなければなかなかやる気が起きません。 それでも、普通よりは早くお尻に火がつくせいか、仕事が早いということになってはいるようです。 忙しい部署は忙しさを、暇な部署に配属されたなら暇を楽しむしかありますまい。 忙しい部署ばっかりとか、暇な部署ばっかりを経験する人はまずいませんから。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
社会・政治

世界連邦

世界連邦を実現しようという運動が、第二次大戦後から、細々と続いています。 湯川秀樹やアインシュタイン、バートランド・ラッセルなどの著名な学者・文化人に加えて、チャーチルや尾崎行雄などの政治家もこの運動に賛同しています。 戦後の秩序を維持するはずだった国際連合が、実際の国際紛争に対してほとんど無力であることを悟った人々が、国家の集合体ではなく、個人が直接構成する連邦が必要だと考えたことが運動発足の理由になったようです。 国家を無くせば戦争が無くなり、恒久平和が訪れるというのは、いわば人類永遠の夢であるといえ、その高邁な理想は称賛に値しましょう。 しかし、70年に及ぶ運動にも関わらず、世界連邦が誕生する兆しは皆無で、今も世界各地で小さな違いや利害を原因に、殺し合いが続けられているのは、悲しいことです。 私が見るところ、人間という種は、まずは自分が大事、次が家族、次が親族、さらには故郷や現在住んでいる場所の共同体、どんなに広げても自民族や自国までが精いっぱいで、全世界のために、という考えには及ばないようにできているように感じます。 そう考えると、了見が狭いのが人間の本質であるとしか言いようが...
社会・政治

インパクト・ファクター 一億総白痴化?

近頃学術研究機関では、インパクト・ファクターという数値を競うのが流行っています。 これは要するに、ある論文がどの程度他の論文に引用されたかを示すものです。 しかし、インパクト・ファクターを1950年代に考案した学者は、インパクト・ファクターが高いことがその研究者の優劣を見極める材料にされることを怖れていました。 その怖れていたことが、今、起きているわけです。 引用といっても、批判的に引用されることもありますし、また、研究者が多い分野の論文は凡庸なものであっても引用回数が多くなる傾向にあります。 逆に、研究者がごくわずかな分野の場合、どんなに優れた論文を書いてもそんなに引用されることはありません。 それなのに、私の業界では、まるでインパクト・ファクターが高いことが優れた研究者の証であるかのような誤解がまかり通っています。 インパクト・ファクターの欠点を補完する概念として、ベンチ・マークというものがあります。 引用された回数のうち、どのような位置づけで引用されたかを数値化したもので、インパクト・ファクターとベンチ・マークを突き合わせて、初めてその論文の優劣を、ある程度判断することができると...
社会・政治

世間を騒がす船に関する事件が2つ、起きていますね。 一つに韓国の海難事故。 二つに中国による日本船の差し押さえ。 海難事故では韓国船のお粗末な過積載、船長の職場放棄などが問題になっています。 しかしわが国に直接関係があるのは何と言っても中国による日本の某社が所有する船の差し押さえでしょうねぇ。 日中国交正常化の際、中国は戦時中の被害に関するあらゆる賠償を放棄しており、わが国政府はそれをもってこのたびの差し押さえを違法とし、国際司法裁判所に提訴する構えをみせています。 一方中国は、このたびの件は民事事件であって、某社が契約に違反して賃貸料を払わないから支払いを命じたまでのことで、戦時中の大日本帝国による被害に対する差し押さえではないから日中共同声明には違反しない、とする立場。 それはいくらなんでも無理筋です。 なんとなれば、当初は日本の某社が中国の海運王から船を借りていたところ、日本軍に接収され、沈められたというのですから。 むしろ某社は被害者では? また、原告である海運王の孫なる人物は、訴えるなら某社ではなく、日中共同声明を遵守すると言い張っている中国政府に損害賠償を求めるべきではない...
仕事

さる高貴なお方のご訪問

今日の職場は朝からざわついています。 午後、さる高貴なお方が訪問されるからです。 そこいら中にガタイのでかいスーツ姿の皇宮警察や千葉県警、警視庁のおまわりさんがうろうろしています。 職場内だけでなく、周辺の道路にも、ものものしい警察車両があふれています。 何もそこまで厳重に警備しなくても良さそうなものを。 私は地元の市長・市議会議長・文部科学省の高官らをご案内したり誘導したりする役目を仰せつかっています。 でもじつは、みなさんこの手のことには慣れていて、さして緊張感があるわけではありません。 この国の成り立ちを思う時、さる高貴なご一家の存在は、文化芸術の庇護者であり、古式ゆかしい儀式を守る方でもあり、いわばわが国文化の根源と言っても良い存在であり続けています。 しかし私は、それならば、国民統合の象徴である必要は無いと思っています。 日本国憲法の第一条では天皇の地位を、国民統合の象徴であり、その地位は国民の総意に基づく、と書かれています。 しかし、それは嘘です。 総意というのは、国民全員ということです。 しかし、天皇制を廃止しようというけしからぬ輩は少なからず存在し、私もまた、現在のよう...
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