今朝3名の死刑が執行されたと法務省が発表しました。
平成16年に小1女児を誘拐、殺害した小林薫死刑囚、44歳。
平成20年に茨城県土浦市で9人を殺傷した金川真大死刑囚、29歳。
平成14年、名古屋市中区栄のスナック店内でスナック経営者の女性を絞殺し、現金を奪うなどした武藤死刑囚、62歳。
いずれも凶悪犯で、法の精神に照らせば、早期の死刑執行はやむを得ないことです。
しかし最近、死刑確定から死刑執行までの期間が短くなっているように感じます。
死刑確定から平均7~8年後に執行されるのが普通でしたが、土浦の事件など発生から5年ですね。
一方オウム真理教関係の死刑囚や坂口弘などの連合赤軍事件など、政治性の強い事件での死刑囚に対しては、何十年も死刑が執行されず、このまま行くと結果的に終身刑だった、ということになりかねません。
現行法が死刑を認めている以上、悪法といえども法なり、という遵法精神を考えれば、異常事態であるとしか言いようがありません。
私はこのブログに何度も書いているとおり、死刑制度には絶対反対です。
死という人類にとって永遠に未知の事態が刑罰になるとは思えませんし、わが国の法体系は教育と更生を目指すことを建前にしており、復讐は考慮されていません。
だいたい人間はおぎゃあと生まれた瞬間から死刑判決を受け、着実に死に向かって歩んでいるわけです。
必ず訪れる死を少々人為的に早めることが刑罰なのだとしたら、私たちはみな人為的に死を早められることがないだけで、本質的には死刑囚と同じです。
そもそも刑法は殺人を禁じています。
その刑法が殺人でしかない死刑を認めているというのはおかしな話です。
国家だけが、国民に代わって人を殺すことができる、と言う論を張る人がいます。
死刑にしても、戦争にしても、国家の殺人は裁かれることがありません。
ニュルンベルク裁判や東京裁判は勝者が敗者を裁きましたが、それは殺人行為を裁いたのではありません。
それまで存在しなかった人道に対する罪というのをでっちあげ、しかも事後法で裁くという専横を働いたわけで、それは要するに復讐でした。
昔だったら敗軍の将は首をはねられるのが当然で、裁判も何もなかったところ、裁判という一見民主的な手続きを行い、正しいことであるかのように敗戦国の指導者の多くを死刑に処したことは、連合国は歴史に汚点を残したと言えるでしょう。
現在の法体系から言って、法務大臣は思想信条とは別に死刑執行趣意書へ署名し、死刑を執行しなければなりません。
それが法務大臣の仕事であり、国家から禄を食んでいる以上、当然です。
しかし死刑という刑罰が本質的な意味で刑罰足りえないのだとしたら、粛々と死刑廃止の法改正を行うべきであると考えます。