3月11日

社会・政治

 新聞もテレビも、一年前の東日本大震災の話題でもちきりです。
 あるいは悲劇と悲しみを強調し、あるいは力強い復興や日本人の忍耐を賞賛しています。
 どちらも震災のほんの一面でしかなく、報道というものの無力と胡散臭さを見せ付けています。

 私は勤務中に地震にあい、電車は完全にストップ。
 三時前には帰宅命令がでて、普段だったら車で30分のところ、猛烈な渋滞で帰宅に6時間かかりました。
 歩いたほうが早かったですね。

 その後繰り返し、家が流され、車が木の葉のように浮かぶ信じがたい映像を見ました。
 その上原発事故まで起こし、当時の総理大臣はパニックに陥り、原発事故は迷走しました。

 この日を忘れまい、とマスコミは口々にはやし立てます。
 しかしそれは不可能なこと。
 千年も一万年も語り継がれるはずはありません。
 できることは、データを蓄積して閲覧可能な状態にしておくこと。
 
 忘れられるのは人間精神の美徳の一つです。
 その美徳をも封印しては、被災者にとってあまりに酷というものです。

 絆だの心は一つだのとあちこちで言い立てながら、瓦礫の受け入れには猛烈に反発する自治体や庶民の身勝手さに、人間の性とは言うものの、本音と建前を使い分ける人々の醜さを見ました。

 そんな中、都民の反発に、一言「ふざけるな」と一喝して瓦礫処理を引き受けた石原都知事は男をあげましたね。
 神奈川県の黒岩知事は瓦礫を受け入れようと県内で何度も説明会を開き、そのつどサンド・バックのようにぼこぼこにされています。

 私が住む千葉県の森田健作知事は、千葉県は被災地だ、と言って東北のことなど興味がないかのごとくです。
 お恥ずかしいかぎりです。

 ではお前は何をした?と問われれば、返す言葉もありません。
 私はただ眺めていたに過ぎません。
 これからも、眺め続けるばかりです。