先ほど、民放のドキュメンタリー番組を見ました。
77歳の、性転換手術をうけて女性となった元男性の半生を追ったものです。
彼女は男が好きだから、という理由で29歳の時に性転換手術を受け、以来新宿ゴールデン街の小さな飲み屋でママとして生きて、今も現役でママを続けています。
心に棘のように引っかかっているのが、故郷、鹿児島に残してきた96歳の母親のこと。
47年間、ママは里帰りをしておらず、当然、親兄弟とも47年間会っていないのです。
それはひとえに、息子であった自分が性転換手術を受けて娘になってしまったことが負い目になっているようです。
今も性転換手術を受けた人に対する差別は根強く残っているくらいですから、47年前にそれを受けたということは、おそらく生涯故郷には帰らない、という覚悟の上のことであったのでしょうねぇ。
ゴールデン街の仲間に説得されて、ママは鹿児島に帰ることを決意します。
飛行機で鹿児島に飛び、鹿児島中央駅から各駅停車に揺られること3時間、ママはじつに47年ぶりに故郷の海を目にします。
駅からほど近いはずの実家への道のりがわからず戸惑う姿は涙を誘います。
心配して迎えに出てくれた妹に会い、実家へと。
96歳の母親を一目見るなり、ママとその母親は号泣しながら抱き合います。
母親は、「あんたの顔を見るまでは死ねないと思って生きてきた」と言葉をかけ、ママが涙ながらに「息子だった自分が女になって申し訳ない」と答えます。
それに対する母親の言葉が、九州女の太さと、歳月の重みを感じさせます。
すなわち、「男であろうと女であろうと元気でさえあれば良い」というもの。
あまりに長い会えなかった時間が、互いのわだかまりを解きほぐしたのでしょうね。
なんとママのための墓まで用意されていました。
その後親族一同うちそろって帰郷祝いの大宴会。
ママは水商売の人らしく、場を盛り上げます。
数日滞在して故郷の変貌ぶりを目の当たりにし、また、恋い焦がれた枕崎の海を心行くまで眺めて、新宿ゴールデン街へと帰ります。
男が好きで性転換手術を受けたとのことですが、ママにはパートナーはいません。
小さな店と、狭い部屋、それに飼い猫、ゴールデン街で働く仲間というか商売敵が、ママの世界です。
固い仕事に就いて家庭を築いて、という世間の一般的な幸福の概念からは遠く離れた世界です。
それでも、ママは笑顔を絶やさず、幸せそうにしています。
自ら性転換手術を受けることを決意してそれを実行し、好きな水商売で一人たくましく生きてきたという自信が、ママをして幸せにしているように感じます。
人生一度きりならば、好きなことをして生きたいと思うのは誰でも一緒ですが、多くの庶民は、そもそも自分がやりたい仕事は何であるのかにすら気付かぬまま、縁があった仕事に就いて、仕事の愚痴をこぼしながら、あっぷあっぷして日々の糧を得ています。
それは人生を無駄にしているようなものではありますが、しかし社会全体のことを考えたら、いやいやでも真面目に働く圧倒的多数の庶民がいなければ、この世は成り立ちません。
かくいう私も、圧倒的に長い平日の昼間を、つまらぬ仕事で浪費していますが、しかしだからこそ、小さいながらも駅近に4LDKのマンションを購入し、通勤用の車も手に入れ、日々の食糧や気分を紛らわせる酒に事欠くこともありません。
リスク覚悟でやりたい放題の人生を選ぶか、小市民的な幸福を求めて就職するか、それは人それぞれの価値観によって違います。
ただ私は後者を選んだわけで、できればそのことを誇れるような老後を迎えたいと思っています。
現役の今は、辛いことのみ多かりきというわけで、なかなかそういう気持ちにはなれませんが。