今日は大日本帝国が独伊敗れた後、世界を相手に孤軍奮闘するも、力及ばず敗れたわが国にとって屈辱の記念日として記憶すべき日です。
時おりしも中国や韓国は、わが国に反省しろだの謝罪しろだの補償しろだの、ピーチクパーチクうるさく騒いでいます。
そんなもの放っておくがよろしいでしょう。
わが国は敗れるに至った原因を追究し、敗れたことを反省すべきですが、その余のことを反省する必要など露ほどもありません。
なんとなれば、わが国は巨大帝国主義国家の一つとして、他の巨大帝国主義国家と覇権を掛けて戦ったのであって、武運つたなく敗れはしたものの、その驚異的な奮戦ぶりは今も他国に恐怖を植え付けており、そのことは巡り巡って戦後のわが国の平和維持に貢献しているものと思われます。
日本軍の勇猛な戦いぶりに対する恐怖の記憶が、米国や中国などにしみこんでおり、わが国を再び怒らせてはいけないと、わが国の国民感情を刺激することを避けさせてきたに違いないからです。
わが国は講和条約を結んで独立を回復するや、直ちに与野党含め全会一致で戦犯の名誉回復を決議し、国内的には戦犯は存在しないことになりました。
それがため、軍人恩給や遺族年金が、戦犯とされた人やその遺族に支給可能になったのです。
戦犯として処刑された人は公務死とされ、懲役をくらった人は監禁されていたのだというのが、わが国の公式の立場です。
当然、靖国神社に参拝することを問題視するなど、信教の自由を認めるわが国にとって、あり得ない言いがかりというものです。
もともと、中曽根元総理が1985年に靖国神社に公式参拝するまで、中国も韓国も日本の政府首脳が靖国神社に参拝することを、問題視することはありませんでした。
主に春秋の例大祭の時に、総理大臣は靖国神社に参拝することが慣習でした。
1985年以降、にわかにそれを中韓が問題視し始めたのは、わが国が経済的、軍事的に大国となった頃と軌を一にしています。
すなわち、連中は大国として再び表舞台に立ち始めたわが国を弱体化せしめむとして、理屈に合わないイチャモンを付け始めたのが今日の靖国問題の始まりであって、そんなことは報道する価値すら無いのに、わが国の一部マスコミがそれを騒ぎ立てて話が大きくなってしまったというのが本当のところで、現在の安倍内閣が中韓に首脳会談を求めず、放っておくという方針を決めたのは、誠に賢い判断だと言えるでしょう。
喧嘩両成敗というごとく、帝国主義国家同士が国益を賭けて殺し合いを行う際、良いも悪いもありません。
要するに戦国時代の武将と同じことです。
わが国が深く反省すべきは、敗れてしまったという事実。
敗れれば、悪とされるのは当たり前のこと。
しかし、たかが一度敗れたくらいで、卑屈になる必要はありません。
勝負は時の運。
一歩間違えれば勝敗の行方は全く分からなかったでしょう。
また、安倍総理が靖国神社に参拝するというのなら、8月15日という屈辱の日を選んで参拝する必要はありません。
むしろ、戦後の歴代総理がそうしてきたように、春秋の例大祭に参拝すべきでしょう。
8月15日という屈辱の記念日を特別視するのは、もういい加減にやめてほしいと思います。
そしてまた、戦没者の慰霊の仕方はさまざまあるのですから、どんな慰霊の方法であっても、おのれの内心の自由にしたがって、静かに行える環境を欲します。
あんまり中韓がうるさいのなら、安倍総理には、例えば、1日のうちにまず浅草の観音様にお参りし、次に芝の増上寺にお参りし、靖国神社と明治神宮にも立ち寄り、東京カテドラル教会でお祈りした後幸福の科学本部にお参りするなどして、下手な鉄砲数打ちゃ当たると言いますから、あらゆる宗教を使って慰霊を行うというのも面白かろうと思います。
そのような方法は、氏子で檀家でクリスチャンと揶揄される、わが国民の宗教感情に合っているように思いますから。