78歳父、ひきこもり50歳息子を殺害

社会・政治

 なんともいやなニュースを聞きました。
 秋田市の住宅街で、78歳の元銀行員の父親が、大学卒業以来30年近くも引きこもっている50歳の一人息子を金属バットで殴り殺したというのです。
 家族は父親・母親・一人息子の三人。
 犯行時、母親はパチンコに熱中していたとか。
 パチンコ店から帰って、返り血を浴びて放心状態で横になっている夫と、息絶えた息子を発見して警察に通報したそうです。
 父親は警察の調べに、「自分や妻が死んだら息子は生きていかれないと思った」などと証言しているそうです。

 50歳の一人息子の健康状態や精神状態がどうであったのかは分かりませんが、健常者であれば両親が死んだら家を売るなり貸すなりして、まとまった金を作って安いアパートで暮らし、金がなくなったら生活保護を受けるとか、働かなくても生きていく道はあったものと推測されます。
 もし障害者なら障害者年金の受給を申請するという方法もあります。
 いずれにしろ殺してしまったら、あらゆる生きていくための可能性が無に帰してしまいます。

 父親が息子を心配してやむにやまれず凶行に至ったその心情は同情できますが、どこまで息子に過保護なのでしょう。
 大の大人を30年間も養ってやり、親が高齢になったら今度は息子を殺して息子の悲惨であろう老後をないものにしてやる。
 過保護というか過干渉というか、呆れかえった父親です。

 息子の30年間の思いは想像を絶する凄絶な魂の漂流であったことでしょう。
 しかしその激しい魂の遍歴は、両親から与えられる食事、暖かい布団、清潔な風呂など、外的には極めて快適な環境の下に行われていたはずです。
 いわば息子はひきこもっていた間、母親の羊水の中にいるような、あるいは保育器の中にいるような、不思議な安らぎの中で暮らしていたのではないでしょうか。

 そして、庇護者であったはずの父親は唐突に、厳しい現実を、最も苛烈な方法で息子に示しました。
 生きていくことの難しさを青少年の頃に説くのではなく、50歳を迎えて、もはや生活無能力者になってしまった息子に、有無を言わさず、襲いかかったのです。

 恐らく世論はこの父親に同情し、寛大な刑を求めるでしょう。
 しかし私は、厳罰に処してほしいと思います。
 そうでなければ、世にあまたいる長期ひきこもりの人々は、身内から殺されても仕方がない存在だということになってしまいますから。

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