子孫のために

社会・政治

 私は、子や孫のために、現在の核保有国は核兵器を保持すべきだと考えています。


 広島の式典に米英仏の代表が参加したと喜んでいますが、三国とも、将来の核廃絶を望むと言うばかりで、自国の核を減らすとは、一言も言いません。

 仮に、核保有国がこぞって核を廃棄した場合、世界は、その瞬間から核の脅威に怯えることになります。

 なぜなら、ここを先途と、テロリストや国際協調など歯牙にもかけない国家が、いつ核を保有するかもしれないからです。

 いってみれば、人殺しの道具を持つのは良くないと、おまわりさんから拳銃を取り上げた途端、拳銃を利用した事件が頻発するようなものです。

 戦後、わが国では、平和ということが絶対的な価値であるかのような幻想にとらわれてきました。
 しかし、世界には、正義のためには殺し合いをいとわない人々が大勢いるのです。もちろん、その正義とは普遍的なものではなく、その人々が思う正義です。
 そんなことは、新聞を毎日読んでいれば、迫力をもって、いやでも胸に響いてきます。
 戦国時代、鉄砲があれほど素早く日本全土に普及したのは、勝つためでした。飛び道具とは卑怯なり、と言ったって、効率的に敵を殲滅できる道具の魅力には勝てなかったのです。

 私の考えは極めて絶望的ですが、人間の歴史を考えれば、そうならざるを得ないのです。

 人間が飛躍的に進化をとげ、殺し合いがいかに愚かであるかを全世界で共感できないかぎり、一度獲得してしまった高度な殺人兵器を制御する方法は、力による抑止しかないと思います。