平成12年度から平成14年度まで勤務した部署は、日本全国から集められた多くの人々からなっていました。
その部署に配属されることを、全国の事業所では人さらいと言って恐れていました。
北海道から沖縄まで、じつにさまざまな人に出会いました。
たこ焼きやお好み焼きをおかずにご飯を食べる関西人にも会いました。噂は本当だったのだ、と驚きました。
九州の人は、宴会のとき刺身醤油をよこせ、とひと騒動起こしていました。
五島列島から来た人は、飲みに行くたびに潰れるまで飲んでいました。
北海道の人は平等を何よりも重んじる風でした。そして意外に寒がりなのです。気持ち悪いくらい暖房を効かせていましたね。
北関東の人は、男気溢れる人が多かったですね。
そうかと思えば、水戸出身なのに納豆を親の敵のように嫌っている人もいました。
京都の女性は面倒くさかったし、東東京出身者は短気でしたね。
沖縄の人は絶対に日本酒に口を付けようとせず、終始焼酎を飲んでいました。
狭い日本ですが、幕藩体制が長かったせいか、土地による気風の違いというのは明らかにあるように感じましたね。
そこで私は、おのれの出自ということを考えずにはいられませんでした。
私は東京東端に生まれ育ちました。父は同じ東京東端出身、母は長崎出身でした。
江戸っ子というものがなくなり、東京人というものが幅をきかせるようになりましたが、じつは江戸っ子も東京人も、鵺のようにとらえどころのないものです。
多くは進学や就職、転勤などの理由からやむなく東京に出てきた人たち、もしくは一発あててやろうと夢を描いて東京に出てきた人たちが土着して東京人になったものです。
東京遷都から代々住んでいる人というのは極めて稀です。
さらに言えば、江戸時代の江戸っ子だって、多くは江戸幕府ができたために移り住んだ人々が中心で、江戸開府以前から江戸に住んでいた人の子孫となると、本当にごくわずかだと思います。
そういうわけで、京都の公家やら町家やら、先の大戦といえば応仁の乱、というような千年単位で物事を考える人々とは、自ずと違ってきます。
まず、物事をじっくり考えず、その場がうまく行けばいい、という気質。
宵越しの金は持たねぇ、というのは、じつは貧乏で、一杯やって晩飯を食えばもうすっからかんということ。
早とちりで行動し、失敗する愚かさ。
知らない人でも困っていると助けたくなるのは、おそらく寄せ集めの新しい町だったからでしょう。
そして私も含め、私の同郷者に共通する特徴は、けんかっ早いことでしょう。
私は例外的に気が長いと思っていましたが、先のパワハラ事件で私もけんかっ早いことを知りました。
私はしかし、東京の朝のラッシュやデパートの人ごみなど、人が多いのがほとほと嫌になり、お隣千葉県に職を求め、千葉市に住んで十年を超えます。千葉県内なら15年以上住んでいます。
人ごみが少なく、都会と田舎の要素がちょうど良く混じった感じが、私にはたいへん居心地よく感じられます。
通勤至便で、ストレスフリーです。
東京都心部に用事があっても、一時間程度で行かれます。
毎日、仕事を終えてガラガラの電車で私が住む町の最寄駅につくと、ぱらぱらの人影と、その割には充実した銀行やスーパー、病院などの社会資源にうっとりとします。
東京の衛星都市、サイバー・パンク・チバシティが、こんなに快適だとは思いませんでした。