二泊三日の伊勢・鳥羽旅行から昨夜帰りました。
初日の午後、雨に降られましたが、それ以外はなんとか持ちこたえてくれました。
まずは、豊受大神宮(とようけだいじんぐう、外宮=げくう)参拝です。
伊勢市駅から歩いて五分ほどで、外宮入口に着きますが、御宮までは十分以上歩かなければならず、また、社は見えないように塀や布で隠されています。
遠く鳥居から、二礼二拍手一礼の正しい作法で参拝しました。
お名前の「うけ」とは食物のことで、豊受大御神(とようけのおおみかみ)は食物・穀物を司る神です。このことより、衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。 内宮にまつられる天照大神の生活を守る神様です。外宮です。
お昼は伊勢名物、伊勢うどんです。
柔らかくゆでた太麺に、ほとんど生醤油に近いしょっぱいたれをたっぷりとかけたうどんで、正直、食うのが苦痛でした。名物にうまいもの無し、とは、この伊勢うどんからきているのでは、と思いました。伊勢うどんです。
満足いくものではありませんでしたが、昼を食って、バスで皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ) を祀る内宮に向かいました。
こちらはたいへんな人出で、さすが伊勢神宮と思わせました。
また、内宮ちかくのおかげ横丁は、土産物屋や藍染め店、招き猫専門店が狭い路地に並び、古い町らしい風情を感じました。内宮です。
二日目は、まずは二見浦です。
昔風の旅館が並ぶ町で、江戸時代、お伊勢詣りに来た旅人はこの町に宿をとったようです。
海岸に旅館が軒をつらね、皇族などの賓客が宿泊した賓日館というのが、今は公開されていました。120畳の畳敷き、シャンデリヤつきの大広間など、たいそう豪勢なものです。昭和59年に当時の礼宮殿下が宿泊されたのを最後に、旅館としての使命を終えたとのことです。賓日館です。
その後、夫婦岩を御神体とする神社に詣でました。
岩と岩の間から朝日が拝めるとのことでしたが、そんな早起きはできませんでした。夫婦岩です。
午後は鳥羽に向かい、ミキモトの創始者、御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功したという、真珠島や、かつての水軍、九鬼氏の居城であった九鬼城跡などを訪れました。
最終日は伊勢市から近鉄特急で名古屋に向かい、ここで半日を過ごしました。
徳川園という、尾張徳川家の隠居所や、尾張徳川家の宝物を展示する徳川美術館で目の保養をしました。
徳川美術館は、甲冑、刀、鉄砲などの武器武具、絵画、茶道具などの美術品、能衣装や能面などの能道具が、まるで昨日作ったかのような輝きをもって展示されていました。
尾張でこれなら、徳川本家はどれほどのものでしょう。想像もつきません。徳川園の滝です。
お昼は、名古屋名物、味噌カツです。
私はこれを初めて食しましたが、マイルドな甘さの味噌だれに、さっくり揚がったとんかつで、ふつうのソースカツより食いやすいと思いました。
名物でも、伊勢うどんとは違い、美味でした。
思わず味噌カツ用に味噌ソースを購入してしまいました。味噌カツ定食です。
短い旅行でしたが、楽しい珍道中でした。
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