バグ

思想・学問

 昨夜「ハート・ロッカー」を観ていて、つくづく思ったことがあります。
 お前が悪い、というのが一神教徒の癖のようだ、ということです。
 しかもキリスト教徒とイスラム教徒の戦いという、手に負えない石頭同士の争いであればなおさら。
 
 ゆらぎがないというか、善悪二元論というか。
 仏教や儒教をはじめとする東洋思想では、物事を相対的に見ようとしますね。
 この世を作った神様だのアッラーだのを頑なに信じれば、どうしたってそれを信じない人が悪いことになり、現代民主主義社会が最も大切にする多様性を認めることから離れて行ってしまいます。

 いわば一神教徒の脳は、バグを起こしたコンピュータのようなもの。
 己一人が正しくて、違うものは教化するか滅ぼすか、そういう発想になってしまいます。
 
 アフリカ、コートジボアールでは、フランスの植民地だったため、自らの言語を失い、今は誰もがフランス語で話しています。
 コートジボアールの言語学者が、元々持っていたコートジボアールの文化や社会秩序を保つための装置と、フランス語という言語から受けた文化的影響とが齟齬を生じ、精緻に作られていた伝統的社会システムが破壊され、しかもフランス風の社会システムも機能していない、と嘆いていました。
 一神教徒のフランスがその価値観を多神教徒のコートジボワールの人々に押し付けた結果、多神教徒の脳にもバグが生じたようです。

 コンピュータは初期化すればすべて一からやり直しですが、人間社会はそれぞれ土地に根差した伝統を背負っており、それを初期化することなんてできません。
 そういう意味では、脳はコンピュータより厄介です。

 和魂漢才とか和魂洋才とかいって、実利的なものだけ外国の真似をして、魂は決してゆずらない、という日本人の生き方は、昔の隋や唐の人や西洋人から見れば小ずるく感じるでしょうが、バグを起こさず、最も効率的に優れた文明を取り入れる優秀なソフトのようなものです。
 ゆらぎを認めるというか、ゆらいでいるのが物事の本質だと、私たち日本人は当然のように知っています。
 
 ただし、私たち日本人も、その他諸民族も、よくよく肝に銘じるべきは、人間が考え出したことはすべて人間の限界を超えていないこと、そして、人間は生まれよりも育ちに影響されること。
 神様もアッラーも八百万の神々も如来の智恵も、みな人間の限界ある脳と心が考え出したはかないもの。
 どうせはかないものだと知り、育ちによってそれが当たり前だと仮に信じているだけだと知れば、世の中に確かなものなど存在し得ないと気付くでしょう。

 そのような虚無的な考えに陥らないよう、人々は宗教を信じたり、文化活動や運動にいそしんだり、仕事に熱中したりするのでしょうけど。

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