私は3年ほど前、過食嘔吐を繰り返していたことがあります。
ちょうど私に暴言を吐いた上司に対し、弁護士から謝罪と賠償を求める内容証明郵便を送った頃から始まりました。
半年ほども続いたでしょうか。
デプロメールという薬が処方されて、徐々に行わなくなりました。
私が参加する精神病者の自助グループに、リストカットが止められない20代後半の女性がいます。
精神科医によると、過食嘔吐もリストカットも、自分を傷つけることで一時的な安心を得ようとする行為だそうです。
過食嘔吐を始めるときは、思いっきり吐いてやるんだ、と気負って、絶対に食べきれない量の食糧を買い込みます。
そして酒を飲みながら一気に詰め込んでいきます。
15分もすると、息をするだけで吐きそうになり、トイレに駆け込み、何度も何度も喉に指を突っ込んで吐くのです。
後には、爽快感とともに罪悪感が残ります。
こういうことは二度としないようにしよう、と思うのですが、またやってしまいます。
パワーハラスメント事件が一段落したからか、デプロメールが効いたからか、あるいはその両方か、幸いにして過食嘔吐は止まりました。
リストカットを止められない女性は、幼い頃父親から性的虐待を受けていたそうで、そのことを思い出すと、切らずにはいられないそうです。
そして流れ出る血を眺めて、過食嘔吐と同様、爽快感と罪悪感を覚えるそうです。
ある心理学者が、自傷行為や自殺にまつわる物語を破壊することが、これらの予防に有効である、と説いていました。
例えば江戸時代、心中が大流行したことに頭を痛めた幕府は、心中という言葉を禁止し、相対死と呼びました。
その結果、心中が激減したというのです。
心中という言葉からイメージされる純愛を貫くための高貴な行為、という物語を、相対死というそっけない言葉で表現し、心中にまつわる物語を破壊したということです。
自殺にも、様々な物語が付随します。
三島由紀夫であれば憂国の情からの憤死。
川端康成であれば日本の美を詠い続けた文学者として、醜く老いていく姿をさらしたくない、という美への殉死。
芥川龍之介であれば、文学を突き詰めて狂気の一歩手前にまでいたり、狂気からの遁走としての自殺。
自殺は美しい行為などではなく、美的物語など存在しない、ということが社会の常識になれば、自殺は減るのではないでしょうか。
自傷行為も同様。
自分を傷つける行為は美的ではなく、同情してもらえるような物語などない、と気付けば、自傷行為は減るのではないでしょうか。
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