世界保健機関(WHO)の健康の定義をたまたまみつけて、興味深く感じました。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
英語は苦手ですが、私なりに解釈すると、健康は、単に疾病または虚弱ではないということではなく、肉体的、精神的、霊的に完全で、且つ社会的に活発な状態です、といった意味になろうかと思います。
私が面白いと思ったのは、physical, mental, spiritual (肉体的、精神的、霊的)の部分です。
普通に考えると、肉体と精神が完全であれば健康なんじゃないの、と疑問に感じますが、WHOはあえて霊的、の一語を加えています。
恐らく、キリスト教徒が作った定義であろうと推測します。
すると霊的ということは、キリスト教を信仰し宗教的に充足している、という意味だと推測されます。
もちろん、WHOはキリスト教の組織ではありませんから、これを敷衍して、何教徒であれ自分が信じる宗教に充足していることが健康の条件、ということかと思われます。
これを日本人にあてはめると、ちょっと困ったことになりますね。
日本人の多くは仏教の中身は知らないけど葬式は仏教で、何をお祀りしているのか知らないけど神社に行き、一神教なんて信じてないけど結婚式は教会で、といった人が多く、宗教的に充足している人なんて滅多にいないんじゃないでしょうか。
むしろ幸福の科学やらオウム真理教改めアレフやら、新興宗教の信者のほうが、宗教的には充足しているのではないでしょうか。
私は spiritual を霊的と訳しましたが、日本人の場合、何かの宗教を信仰し、満足している状態と捉えるのではなく、mental(精神)と一体不可分となったものと考えればよいのではないかと思います。
WHOでは肉体的、精神的、霊的、と三者が並列されていますが、私の感覚からすると、霊的というのは精神の内奥に潜む人間精神の核のようなものなのであり、それは肉体をも含むものではないかと思います。
むしろ今、霊的ではないが宗教を信仰している人や、宗教を信仰していないが霊的な人があふれかえっているように思います。
そうすると宗教によって霊性の完全さが担保されない状態でそれを健康の条件に加えるのは極めて困難です。
日本人のほとんどは、宗教抜きで、霊性の完全さを求めなければなりません。
そのようなことを日本国民に無理強いすることはできません。
WHOが掲げた概念はあくまで西洋の概念で、私たち日本人のあずかり知らぬところです。
鈴木大拙が「日本的霊性」に書いたように、精神と肉体の背後に開けてくるものが霊性だと知れば、WHOの健康の定義は、西洋と東洋の考え方の違いを如実に表わしていて、興味深いと思うのです。
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鈴木 大拙 | |
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