最近巷で溢れかえっている言葉に、させていただく、がありますね。
鳩山前総理はじめ民主党のお歴々がこれを連発して辟易したことは、以前このブログにも書きました。
言葉は生き物で、時代とともに変化していく、と言われます。
それはそうなのでしょうが、あまりにも急激な変化によって、奇妙な言い回しに違和感を持たない世代と不快に感じる世代とで摩擦を起こすようでは、自然な変化とは言えないでしょう。
ら抜き言葉はもはや市民権を得た感がありますが、私はこれにも強い違和感を覚えます。
しかしなんといっても、現代の日本語で最も奇妙なのはさせていただく、の多用でしょう。
本来、させていただくは、目上の人が目下の人に対して使う謙譲表現で、例えば社長が会議の議長を務める場合、「議長をつとめさせていただきます」などと言いますね。
これは一番偉い社長だけど、部下の気持ちを汲んで、あえてへりくだって言うわけです。
一方、その会議で、係長が「私が議長を務めさせていただきます」と言えば、それは何が何でも俺が議長をやるんだ、文句は言わさん、というほどの、強い意志を示す言葉になります。
つまり目下の人が目上の人に対して謙譲表現であるさせていただくを使うと、それは強い自己主張であり、尊大になってしまう、ということです。
問題は、社会人経験が浅い人ほどさせていただくに抵抗感がなく、むしろ丁寧で良い、と思っている節があり、やたらと使うことです。
すると自然、目上の社会人経験の豊富な上司や先輩は、いちいちそれが癇に障り、そうは言っても社会人同士なので指摘するわけにもいかず、よけいイライラするというわけです。
商店などが、降ろしたシャッターに、何月何日お休みさせていただきます、なんて紙を貼ってありますが、あれは消費者を下にみて、さらに商店主がへりくだるという、二重の誤りを犯しており、腹立たしいというより滑稽、さらに国語表現の未来を思うと暗澹たる気持ちになります。
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上の三つは今日私が直接聞いた、取引先の営業マンが口にした言葉です。
けつの穴がかゆくなります。
させていただく症候群とでもいうべき奇病に国民こぞって罹患してしまったかのごとくです。
まずはこれを広めるのに最も貢献した鳩山前総理をはじめとする民主党議員にさせていただきます規制法案を提出してほしいものです。
しかるのち、マスコミなどでさせていただくを厳しく制限し、より適切な表現に直してほしいですねぇ。
簡単なことだと思いますよ。
30年前にはさせていただく症候群はなかったのですから。