着衣と羞恥

思想・学問

 寒さ厳しい折、朝夕の通勤電車で見かける女子高生のミニスカートはなんとも痛々しいですね。
 零下に近い気温なのに腿をにょっきりだしちゃって。
 最近ちらほら黒いストッキングを履いて、さらに黒いレッグウォーマーをしている女子高生を見かけるようになり、なんだかほっとします。
 私は毎日秘かに起毛した股引を履いていますから。
 いざという時困るんじゃ、とお思いでしょうが、いざという時なんて、もうないのですよ。

 一昔前、着エロという表現をよく耳にしました。
 要するに全裸よりも水着姿や下着姿に性的興奮を覚える人々や媒体を差す言葉のようです。

 人間が衣服を身にまとうのは、防寒の他に、羞恥心のためや、社会的秩序を維持するため、という目的があるようです。
 ただ、時と場所によって、全裸でも半裸でも羞恥心を感じず、また社会秩序を破壊しない、とされることがあります。
 代表的なのは温泉や海水浴場ですね。
 それと医療行為のためである場合。
 
 面白いのはほぼ全裸に近い格好で暮らしている部族です。
 彼らには独特の羞恥心があって、ある部族は下半身丸出しでも平気なのに、帽子をかぶっていない姿を見られると非常な羞恥を感じるそうです。
 イスラム教原理主義の国では、女性はほぼ全身を黒い衣服でおおって、目しか見えません。
 そういう国では、顔が見えているだけで女性は羞恥心を、男性は性的興奮を感じるのでしょうね。

 このように肌の露出に関しては、お土地柄でずいぶん意識が違います。
 江戸末期、来日した欧米人は日本の銭湯が混浴で、男女とも平気で裸になっているのに驚いたそうです。
 しかし同時代のヨーロッパの貴婦人の胸の谷間を強調したドレスなどは、今で言う着エロもしくは露出系とでもいうべきファッションで、それが正装であったことに驚きます。

 そのような違いはありますが、例え生殖器を隠すだけの小さな布だけであったり、あるいは帽子だけであったりしても、何かしら身に付けていないと恥ずかしい、というのは人類共通のようです。
 
 そういえば平安から室町の日本では外出する時烏帽子をかぶらないと恥とされたそうです。
 1970年代に全裸で町を走りまわるストリーキングが流行った時は、嘘か真か靴下を履いていると全裸よりも刑罰が軽くなるという噂がたって、全裸に靴下という間が抜けた格好の若者が現れた、とか。

 様々な文化での肌の露出による羞恥心や社会秩序維持の概念がどのようであるのか、興味深いものがあります。
 どうも何かを身につける、という行為は、人間と動物を分ける決定的な違いであるようですから。

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