近所の洋食屋が、閉店しました。
昨日の散歩の途中、シャッターにあった張り紙でそれを知りました。
閉店したのは、一週間前。
私がそれを知った昨日まで、洋食屋は私のなかで営業していたのでした。
認識はいつも現実を後から追いかけるようです。
なぜ閉店したのかはわかりません。
わからないけど、閉店したことは事実。
その理由を推測することは可能ですが、本当のところはわかりません。
考えてみると、人は大抵自分の物差しでしか考えることができません。
閉店したのは資金繰りの悪化か、店主の病気か、そんなことしか考えられません。
よく相手の立場にたって考えよう、とか言います。
これはかなり難しいことです。
相手は自分とは違う思考回路を持っている可能性が高いからです。
例えば私は、もう三年も前に上司から暴言を受け、精神病を劇的に悪化させました。
しかし上司は、私に直接謝罪することはありませんでした。
これなどは、私にとっては理解不能な行動ですが、上司にとっては合理的な理由があったのでしょう。
相手の立場に立って考えるのが良いことなら、私は上司の理不尽な発言を理解すべきなのでしょうか。
到底不可能です。
すると結局できることは一つ。
相手を否定も肯定もせず、傍観すること。
基本的に他人を理解することはできないと思い知ること。
親子兄弟といえど、夫婦といえど、しょせんは自分とは違う生き物です。
違う生き物同士が集まって社会を構成している以上、理解できないし違う意見だけど、あなたを尊重します、という以外にないでしょう。
冷たい考えかもしれませんが、41年生きてきて、他人を理解できたことが一度もないのです。