農業と鍛錬

思想・学問

 日々の新聞で、文化という文字を目にしない日はありませんね。
 日ごろ何気なく使っている文化という言葉。
 でも実際のところ、文化という言葉の定義は曖昧で、使われ方も曖昧です。
 例えば日本文化とかアイヌ文化と言えば、民族や地域の特性を表わしますし、平安文化とか室町文化といえば、特定の時代の文化を表わすでしょう。
 ほかにもヲタク文化とか、ポップ・カルチャーとか、様々な場面で使われる文化。
 
 元の意味はなんだべな、と思って辞書をひくと、ラテン語で農業・牧畜と精神や肉体の鍛錬を意味する言葉だったそうです。
 それがフランス語に伝わり、英語に伝わり、やっと18世紀になって現在のような意味で用いられるようになり、明治の日本でcultureの訳語として文化なる言葉が使われ出したとか。

 農業・牧畜と精神的・肉体的鍛錬。
 今使っている文化という語感からはほど遠いものですね。
 今、文化というと、狭義には学問・芸術などの精神活動、広義には人間の生活様式や風俗・習慣、といったところでしょうか。
 どちらにしても、生活必需品ではなく、遊びの要素が濃い印象を受けます。

 しかし元々は農業や牧畜といった、最も必要な、食うための労働を表わす言葉。
 鍛錬はおそらく敵と戦うためのもの。
 cultureは人間にとって死活的に大事なものだったということでしょう。
 それが転じて現在のような使われ方をするようになったのは、文化という比較的新しい概念が、人間にとって大事なものだということを言いたかったのだと思います。
 それはちょうど、個人の解放ということが言われるようになった時期と重なるようです。

 しかし前世紀、文化は、軍国主義や共産主義などによって、ひどい蹂躙を受けることになります。
 人権の侵害もひどいものでした。
 それは今なお、北朝鮮などで続いています。
 自由を何より大切にする米国においても、かつて1950年代にマッカーシーがレッド・パージを主導し、魔女狩りのようなことが行われました。

 文化という概念が生まれる前はもちろん、その300年も後も、文化や人権を尊重しない国々があり、また、尊重しているように見えても、ちょっとしたきっかけで弾圧する勢力が力を伸ばすことがあります。
 
 だからこそ、欧州の人々は死活的に重要な農耕・牧畜や鍛錬を表わすcultureに、現在使われているような意味を与えたものと推測します。
 人間なんて信用できない、という予感。
 その予感が新しい概念を生んだとしたら、逆説的ですが、人間も信用できないわけじゃない、と感じます。 
 

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