福祉の街

社会・政治

 大阪万博などの高度経済成長期の様々な仕事を支えた人々に、あいりん地区の日雇い労働者がいますね。
 彼らは屈強な単身男性が多く、いわゆる寄せ場を形成して、仕事に精をだしました。
 ドヤなどと呼ばれる安価な宿泊所を定宿とし、仕事にあぶれて蓄えもなければ公園などで野宿も厭わない、日本経済の最底辺を力強く支えた男たちです。
 バブル崩壊前までは、あいりん地区は日雇い労働者の街でした。

 しかしバブル崩壊後、日雇いの求人が激減。
 加えて日雇い労働者たちが高齢化したため、生存そのものが危ぶまれる状況に陥り、教会などが炊き出しを行ったりして、働かなくても食える、福祉の街になってしまいました。
 
 そのためかつては日雇い労働者の労働環境や労働条件の向上を目指していた社会運動は、日雇い労働者の生存を守る運動になりました。
 そして生まれたのが、仕事にあぶれた高齢労働者を行政が雇い、道路掃除などをさせる、公共事業です。
 日雇い労働の求人は最盛期の三分の一にまで落ち込んでいると言いますから、道路掃除も焼け石に水といったところでしょうか。
 その上暴力団が路上生活者を大量に拉致同然に連れて行き、アパートに住まわせて生活保護を受給させ、そのほとんどをピンハネする、いわゆる貧困ビジネスが横行しているとか。

 雇用の問題は、ここまで来てしまっているのですね。
 北欧などで、下手に働くより生活保護のほうがたくさんもらえるからと、選択的に仕事に就かない若者がいると聞きます。
 わが国の生活保護支給件数はうなぎ登りだとか。
 生活保護費が財政を圧迫するようになるのは明らか。

 さらに引きこもりと言われる人々は高齢化が進み、老親が支えられるのは限界です。

 私はかつて長期の病気休職をし、一度は辞表を出したこともあります。
 なんとか慰留されて踏みとどまり、復職して日々出勤していますが、崖っぷちに立っていたときの不安はなんとも言いようがないものです。
 
 お釈迦様はこの世の苦しみを八つに分類しましたが、求不得苦(ぐふとくく・ 求める物が得られない苦しみ)は、それが生存を脅かすまでに至る時、一人の苦しみではなく、社会全体の苦しみにもなりましょう。
 この言葉を強欲を戒める言葉ととれば話は簡単ですが、今日の飯すら得られないとすれば、それを求めることを強欲と責めるのはあまりに酷というものです。

 この問題に特効薬はないでしょう。
 大きな時代のうねりのようなもの。
 一人一人が自らを恃んで乗り越える他はありません。

 私はただ、悲しむより他、術を持ちません。

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