織豊政権下、多くの宣教師や商人が日本にやってきました。
彼らが一様に驚いたことの一つに、子どもがとても大事にされていることだったそうです。
まず子どもを殴ってしつけるということは皆無で、そんなことをしたら気が狂ったかと思われたとか。
子ども天国だった日本、どうやらそれは明治の初期まで続いたようです。
明治維新が断行され、その頃教育を受けた者が親になってから、子どもに対する体罰は苛烈になっていったそうです。
西洋では、子どもは小さな大人として扱われるそうですが、わが国では7歳までは人ではなく、神の世界と人の世界の境目を生きる妖精のようなものとして扱われてきました。
それが日本のものは全てダメで、西洋のものは全て良い、という風潮のなか、子どもを体罰によって厳しくしつけるようになったのでしょう。
それに加えて、民法が家長である父親に強大な権限を与え、子どもを懲戒する権利をも付与したことが大きいでしょう。
わが国の文学作品に子どもに体罰をあたえるシーンが登場するのは、明治43年発表の長塚節の「土」が最初だと言われています。
怒鳴りながら彼は突然おつぎを殴った。おつぎは麦の幹とともに倒れた。おつぎは倒れたまましくしくと泣いた。
明治の父はおそろしかったのですねぇ。
それまで2000年もの間、わが国の文学では子どもへの体罰は描かれなかったのです。
被災地で、幼い女の子がボランティアの真似事をして、被災地の人々を和ませているそうです。名付けて、お掃除娘だそうです。
江戸時代の寺子屋の絵なんかを見ると、ふざけているやつや、いたずらしているやつなど、勝手気ままにふるまっていますね。
今でいえば学級崩壊。
しかし昔の人は、子どもとはそうしたもの、と考えて意に介さなかったようです。寺子屋の様子です。
かなり崩壊していますねぇ。
被災地のみなさんが、子どもによって癒されたなら、子どもにとっても嬉しいことでしょう。
しかもそれは、わが国の伝統に則ったことなのです。
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