ここ数日ロシアと中国が領空侵犯すれすれのことをやって、民主党政権が震災への支援をもらっていることに配慮したのか、抗議していないことを問題視する論調がみられます。
いやですねぇ。
まるで私たちの社会は毎分毎秒が利害の対立とその調整で成り立っているかのごとくです。
しかし私個人のことを考えれば、私以外の他人はすべて私に危害を加える可能性があり、当然、、私自身が私以外の他人に暴力をふるったり暴言を吐いたりする可能性があります。
最も信頼がおけるはずの親や子どもであっても、無理心中を図ったり、あるいは家庭内暴力をふるったりしますね。
すると究極のところ、私以外の人間は誰も信用できないということになります。
さらに考えると、リストカットなどの自傷行為や自殺など、私が私を傷つける可能性も否定できません。
他者のみならず、おのれとも、毎分毎秒折り合いをつけていかなければならない、厄介で因果な生き物が人間でしょうか。
そのせいか、人間は宗教や道徳観念を発達させてきました。
しかしこれらが実際の危機に役だったことはほとんどありません。
むしろ価値観の違いのせいで争いの種になったりします。
今大方の人が正しいと思っていることが100年後には誤ったことになり、200年後にはまた正しくなったりします。
価値観の裁判は何度でも再審が行われるようです。
そして裁判のたびに、人々は反省したり、勝利に酔いしれたりします。
最も愚かなのは、自分は他人を傷つけたりしない、自分は常に正しい、と信じ込んでいる人でしょうねぇ。
真っ先におのれを疑うべきでしょう。
この愚行を繰り返さなければならないのが人の宿命である以上、愚行を承知で利害の調整や価値観の問い直しを不断に続ける他ありません。
面倒くさいですねぇ。
鴨長明の「発心集」にはこれらの面倒を避けるため、出家したり出奔したりする人々が描かれています。
出家などしても、坊主も所詮は人の子。
寄り集まって派閥抗争をしてみたり、拗ねたり妬いたり、俗世間と何ら変わるところはありますまい。
種田山頭火のように乞食となって放浪し、句作に励むような生き方は人間の夢ですが、暖かい飯と布団、それに風呂がなくてはやってられない凡人の身であれば、かなうものではありません。
私はただ、精神病薬や酒を頼りに、よろよろと綱渡りを続けるしかないんでしょうねぇ。
![]() | 方丈記 発心集 新潮日本古典集成 第5回 |
鴨 長明,三木 紀人 | |
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村上 護 | |
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