橋本大阪府知事が、公立の小中高校で国歌斉唱時は起立しなくてはならない、とする条例を提案するそうですね。
大阪維新の会は府議会で過半数を占めているので可決は確実。
いい年をした教師が学校行事で社会的慣例である国歌斉唱時の起立を拒否するというのは、子供っぽいというか、大人げない態度だと思っていました。
大相撲でも国歌斉唱がありますが、国技館に相撲を見に行って君が代が流れれば、反射的に立ち上がりますね。
多分それは、相撲協会がどうでもよいという態度を取っているため、座ったままでいることがいたたまれないほど恥ずかしく感じるからでしょう。
ところが学校行事になると、頑なに起立を拒む教員が続出するのは、それが学校現場では自己主張になり、格好いいと思っているんでしょうねぇ。
思想・信教の自由がわが国では認められているので、これを強制するのは憲法違反だ、という人もいれば、国旗国歌法案が通って10年以上がたち、教育委員会は繰り返し起立を促しているのにこれに従わないことは公務員として職務命令違反だという声もあります。
なんだか死ぬほどどうでも良いことですねぇ。
社会的慣習は変なことでも一応守るのが普通の社会人。
ネクタイをつけ、ひげをそるのが礼儀とされていることと同じようなものです。
どうしてもネクタイをつけて仕事をするのがイヤだという人は、サラリーマンにならなければ良いのです。
わが国には思想・信教の自由とともに、職業選択の自由もありますからねぇ。
本来、国旗国歌法案が可決して各教育委員会が国歌斉唱時の起立と国旗の常時掲揚を義務付けたとき、どうしてもイヤなら私学に転職するとか、職業選択の自由を行使して思想・信教の自由を担保するというのが、まともな思考だと思います。
それを嫌がらせのようにあえて守らず、処分されることを自ら誘引するとは、駄々っ子の態度としか思えません。
一方、この駄々っ子を無理やり従わせるか、あるいは懲戒免職にしてしまおうという橋本知事の考え、これもやや頭に血が上って暴走気味になっているような気がします。
駄々っ子先生はこの10年で確実に減少しており、順法精神は広く教員に行きわたってきています。
もはや駄々っ子教師が駆逐されるのは時間の問題。
知事がきぃきぃ言わずとも、わが国民は法を守る精神に満ちています。
もう少し静観したらいかがですかねぇ。
無駄に刺激すると、かえって駄々っ子教師を勢いづかせますよ。