時代小説を読んでいると、かなり激しい拷問を行って自白を迫るシーンがよく出てきます。
水を入れた甕の上に逆さに吊るして水責めにしたり、石の上に正座させてその膝の上にどんどん重りを加えていったり、甚だしきにいたっては、足の甲に五寸釘を打ち付けるという残忍なものもあったようです。
しかしそこは小説ですから、拷問されても仕方ないような悪逆非道の輩が、拷問によって自白し、悔い改める、という予定調和的な物語が用意されています。
しかしきっと、多くの冤罪があったであろうことは想像に難くありません。
江戸時代は自白偏重で、物的証拠などなくても自白さえ引き出せば犯人に仕立て上げられるのですから、自然と拷問も過酷なものになったでしょう。
現代日本では、殺人犯とされて死刑や無期懲役を宣告されながら、数十年の時を経て、無罪を勝ち取る例がありますね。
そうすると、きっと冤罪のまま刑場の露と消えた方もいたでしょう。
その無念を思う時、強い憤りを覚えます。
警察や検察の全面可視化が議論されていますね。
私は100%可視化すべきだと思っていますが、法務省は一部可視化でお茶を濁したい様子。
なぜでしょうね。
全面可視化によって、真実が語られない恐れがある、と言います。
しかし密室での取り調べによって多くの冤罪事案が発生したのはまぎれもない事実。
肉体を傷つけるような拷問は今は行われていないでしょうが、怒鳴りつけたり、あるいは精神をぐりぐり痛めつけるような尋問が行われているらしいことは、冤罪が証明されて社会復帰した人々の証言から明らか。
全面可視化を実現すれば、そういった新手の拷問を防ぐことができると考えています。
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
日本国憲法36条です。
絶対に、という強い言葉を使っているのは、この条文だけです。
逆に言えば、警察や検察など、強い権力を持った公務員は、拷問や残虐な刑罰への志向性が高いということでしょう。
だからこそ、絶対に、禁じているのです。
この憲法36条の精神を遵守するため、取り調べの全面可視化は、ぜひ必要でしょう。
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「写楽」編集部 | |
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