ボトム・アップ

思想・学問

 ノモンハン事件の後、ソヴィエト軍の将校が日本軍を評し、最高の下士官兵、まともな将校、無能な指揮官で編成されている、と言ったそうです。

 それは現在の組織にも通じていて、例えば東京電力のテレビに出てくる偉い人は阿呆にしか見えないのに、福島の現場で働く作業員には頭が下がるようなものです。

 日本の組織は一般にボトム・アップによって意思形成をしており、一番下っ端の係員が原案を作り、主任、係長、課長補佐、課長、部長、局長と、修正を行いながら成案を作り上げていきます。
 もちろん、極めて重要な事項については偉い人が集まる会議で意思決定がなされますが、その会議の資料を作り、シナリオを書いているのが、係長以下の下っ端だったりします。
 そうすると、当然責任は決裁権者である部長だか社長だかにあるのですが、なんとなく、原案を作った係員や、細かくチェックした主任に実質的な責任があるかのような錯覚に陥りがちです。
 現実に、会議やプレゼンテーションなどで、最初社長があいさつして、細かいことは主任に説明させます、なんて言って引っこんでしまう光景はよく見かけます。
 ボトム・アップは平時においてはうまく機能します。
 下々にいたるまで責任感を持って仕事にあたり、自分は会社に貢献している、という実感を得られるからです。
 しかし、一たび危機的状況に陥れば、ボトム・アップなんて悠長なことは言っていられなくなります。
 しかるべき立場の人が、様々の状況を把握し、情報を頭に入れ、瞬時に的確な判断をくだし、くだしたなら迅速にそれを実行に移さなければなりません。
 ところが得てして日本の組織人がボトム・アップに慣れきっているせいか、危機にあっても部下の意見を求めたり、ひどい場合には緊急会議を連発して小田原評定を繰り広げたりして、その時間のロスが、悲劇を生んだりします。
 
 東日本大震災は、もちろん天災でした。
 しかしその後の対応の遅れにより、防げたであろうたくさんの悲劇が起きてしまいました。
 私はその様子をリアルタイムでテレビや新聞によって情報を得、日本がトップ・ダウン型の組織を標準とする国だったら、また違っただろうな、と思いました。

 いずれにしろ、人の上に立つ人は、平時はともかく、危機的状況に際してはトップ・ダウン型のリーダーに変身できるようでないといけません。

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