神聖かまってちゃんのCDを購入し、朝、車のハードディスクに落としつつ、鑑賞しました。
CDのタイトルは「みんな死ね」です。
大分病んでいますね。
世界を呪い、おのれを呪っているようです。
正直頭が痛くなるような騒音の嵐でしたが、騒音のなかに、聞き逃せない真実の言葉が隠されているようです。
聞いていて暗欝たる気分になる、マイナス・パワーがさく裂しています。
神聖かまってちゃんのリーダー、の子は、女の子でも男の子でもない存在、すなわち、の子なのだそうです。
年甲斐もなくイカレタ中高生が熱狂しそうな自己憐憫をハードなロックにのせて歌う歌謡にはまりつつある私。
本来的な意味で、これを歌謡と呼べるのでしょうか。
民俗学者折口信夫によれば、「歌う」の語源は「うった(訴)ふ」であり、歌うという行為には相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としているそうです。
それはそうでしょう。
歌謡にしろ文学にしろ、読む者や聴く者に何事かを伝え、訴えるのでなければ、それは単なる言葉遊びになってしまいます。
そういう意味では、神聖かまってちゃんの曲は、暑苦しいまでに、訴える力を持っています。
わが国伝統の歌謡とはかけ離れていますが、こういう人たちが活躍する場があるというのは、むしろわが国の健全性を示していると言えます。
反社会的な歌であっても、それを表現の自由として認めるということは、日本という国家に余裕がある証拠でしょう。
イカレタ歌謡、ハードな歌謡、狂気染みた歌謡、なんでも世に出てくればよいのです。
そしてそれらが多くの支持を集めれば残っていくでしょうし、そうでなければ消えていくでしょう。
言葉を主たる道具として扱うのは、文学作品である散文や詩歌だけではありません。
歌謡もまた然り。
歌謡も文学もガラガラポンにして、良いものは良い、悪いものは悪い、と判定すればよいのです。
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