お昼過ぎ、近所を散歩していたら、公園で餅つきをやっていました。
子どもたちとその親が集まって開いた自治会の餅つき大会のようです。
私が住むマンションは自治会に加入していないので、今日初めて知りました。
伝統的な臼と杵で、お父さんたちが交代で餅つきに汗を流し、子どもたちは公園の遊具で遊びまわる姿は、平和そのもの。
わが国で66年続くこの平和が未来永劫続くことを願ってやみません。
幼稚園の頃、毎年年末に幼稚園の庭で餅つき大会を行ったものです。
しかし、生来の左党のせいか、幼児の頃から甘い物を好まなかった私は、餅つき大会で食う餅が、いつも餡子やきな粉などで、甘く味付けされて供されることが不満でした。
できれば磯辺か、あるいは雑煮で食いたいものだと思いながら、義務のように甘い餅を食っていました。
餅つきといえば年末の風物詩、餅を食うといえば正月などの祝い事。
百歳の 春も隣や 餅の音 正岡子規
正岡子規の隣家の婆さんが77歳、喜寿を前に隣家が餅をつく音を詠んだ、正岡子規最晩年の句です。
35歳、寝たきりで痛みに耐えていた子規にとって、77歳まで生きた老婆には百歳の正月を迎える日も近いだろう、という祝意と言おうか妬みと言おうか、複雑な心境を詠んだ句と見えます。
この句の背景を思うと、あまりおめでたい気分にはなれません。
何事も表と裏があるということでしょうか。
いずれにせよ、今日の子どもたちはつきたての餅に餡子やきな粉をまぶして、旨そうに頬張っていました。
きっと甘い味付けの餅なんて食いたくない、なんてひねくれ者はいなかったものと想像します。
甘い物は頑として口にしなかった私ですが、近頃は少しなら好んで食うようになりました。
頑固な左党が中年になってお宗旨替えをするという話を時折耳にしますが、その現象が私にも現われたようです。
人様に起こるぐらいのことは、大抵自分にも起こるのだなぁと、妙に感心した次第です。
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