昨日、大先輩の訃報にふれました。
定年退職して約10ヶ月。
定年後すぐに関連会社に再就職し、バリバリ働いていたところ、心筋梗塞で倒れ、間もなく亡くなりました。
夏は登山、冬はスキーを楽しむ、山が大好きなスポーツマンでした。
定命は天の知るところ。
人の知るところではありません。
しかし知っていれば、再就職なんぞせずに、短い余生を趣味に生きることができたでしょうものを。
人間いくつまで生きるか知れないことは困ったものです。
あと一ヶ月で死ぬと知れば、しかもそれが確かなことならば、仕事なんぞとっとと放り出して、貯金を使い果たすまで遊ぶでしょう。
70まで生きるか、80まで生きるか、あるいは100まで生きるか知れない身であれば、今後に備えて働けるだけ働こうとするでしょう。
一生かかっても遣いきれない財産があればまた別でしょうけれど。
そんな人はごくわずか。
まして世界経済は停滞し、給料も上がらない昨今、とにかく経済的困窮を避けようとするのは人情というものです。
懇意にしていた人が亡くなるというのは切ないものですねぇ。
私は30歳のとき、27歳の後輩を喪いました。
自殺でした。
その時のショックははかりしれません。
また、38歳のとき、一つ年上の先輩をやはり自殺で喪いました。
人間おぎゃあと生まれた瞬間から、死に向かって突き進むのは万人共通の事実。
人には定命があると悟れば、誰の死とて受け入れられるはずです。
それなのに知人の死に一々ショックを受けるのはやれませんねぇ。
人の命はじつは軽いものだということは、現世を長く生きれば誰でも気付くこと。
気付いていながら私は、昨日の訃報にやりきれない思いでいます。
せめて私は、うつ病発症時の強い自殺願望を生き残った身として、長生きしたいと思わずにはいられません。
人気ブログランキングへ
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!