私が学生の頃、昼時に数寄屋橋を通りかかると、いつも人ごみができていました。
その中心には右翼の街宣車。
街宣車に乗って、意気軒昂に狂信的な演説をぶって道行く人を笑わせていたのは、かつて共産主義運動に全力で取り組みながら、同志の裏切りにあい、獄中で転向を決意した浪漫の人。
赤尾敏その人でした。
若い頃は三宅島で牧場を経営し、武者小路実篤の新しい村運動に共鳴して原始共産制のような集団生活を送り、転向後は戦争中、大政翼賛会の推薦を受けられなかったにも関わらず衆議院議員選挙で当選を果たし、当時の東条英機内閣を鋭く批判して嫌われました。
戦後、街宣車で街中を走りまわるという右翼のスタイルを確立した人でもあります。
彼は元が共産主義者であったためか、昭和天皇の戦争責任を追及したり、親英米を主張したりして、その後の反米右翼である新右翼からは蛇蝎のごとく嫌われていました。
選挙といえば国政地方関係なく必ず立候補し、落選していましたね。
数寄屋橋で毎日聞ける生の演説も素敵でしたが、政見放送がまた面白かったですねぇ。
だいたい途中で怒りだし、「なんだ、今の総理大臣は。なっとらん。おれを総理大臣にしろっ」などと吠えているうちに時間が来てぶちっと切られ、妙に冷静な口調で「赤尾敏さんの政見放送でした。次は・・・・」なんてアナウンサーが言ってましたっけ。
でも一度は衆議院議員を勤めた人を泡沫候補と言って良いんでしょうかねぇ。
私は、狂的に、自己陶酔的に、おのれが信じる奇妙奇天烈な信条を熱く語る彼の姿が好きでした。
しかもそこには乾いたユーモアが漂い、現に人は彼を見て笑うのです。
今日は赤尾敏さんの命日。
1990年の今日、日本と世界の将来を憂いながら、逝きました。
最後まで、過激なロマンティストでしたねぇ。
政見放送でもう一人、名物おじさん(おばさん?)がいました。
ゲイ・バーのママで雑民党党首だった東郷健です。
この人は性差別や同性愛者差別など、マイノリティーへの差別と闘うため、オカマ言葉に過激なエキスをたっぷりと注入し、政見放送に臨んでいましたね。
頬杖をついてうっとりと男同士の愛について語ったかと思うと、米国人のcome comeを駆逐し、日本人のイクイクを広めなければならない、などと意味不明のことを言っていました。
性事こそ、ガバメント=政治に勝れて、人類の一大関心事であらねばならない、なんて言うのは哲学的ともいえる名言ですねぇ。
伝説の東京都知事選の 立候補者東郷健の政見放送
東郷健さんは81歳でまだ健在。
今もゲイ・バーを中心に愛の伝道師として熱血人生を送っているのでしょうねぇ。
私は自分が超のつくほど常識的でつまらない人間であるためか、赤尾敏さんや東郷健さんのような、破天荒だけど一本筋の通った生き方をする人に憧れちゃいます。
今、泡沫候補というと、青森の羽柴秀吉さんとか、ドクター中松とか、あるいは幸福実現党の人々がいますが、どうも素敵じゃないですねぇ。
なんだかおちゃらけているみたいで笑えません。
赤尾敏さんや東郷健さんみたいに、大真面目にやってほしいですねぇ。
下らないように思えることは、大真面目にやらなきゃつまらないんですよ。
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