3月11日に大震災が発生したためか、例年盛大に慰霊が行われている3月10日の東京大空襲は忘れ去られてしまったかのごとくです。
私の親戚のおばさんは、幼児の頃本所で空襲にあい、公園に逃げ込んで、トイレは人がいっぱいで、ジャングルジムに隠れて一晩中頭から水道水を被り続けたそうです。
おばさんは助かり、トイレに逃げ込んだ者は全員死亡。
おばさんに水をかけ続けた母親も力尽きて死亡。
何が生死を分けるかわからぬ極限状況に身を置いた人の言葉は、意外なほど明るかったりします。
諦念でしょうか。
それとも、悲しい時、微笑もうとするわが民族特有の照れでしょうか。
私の母は4歳の時長崎で被爆。
石ころのように大きなドス黒い雨を浴びたそうですが、生来放射能に強い体質なのか、70を過ぎた今もピンピンしています。
そんな母から見ると、少々の放射能を含んだがれき処理に拒絶反応を示す被災していない人々が滑稽に見えるようです。
その時母が浴びた放射能は、間違いなく現在の基準値を超えているでしょう。
時の流れとともに不幸な過去を忘れていくことは、今を生きる人間にとって是非とも必要なことです。
記録に残し、データを蓄積することは是非とも必要なことですが、心は、忘れていくべきでしょう。
死者や不幸な過去に執着してはいけません。
執着を離れ、流れる心で不幸を忘れていくことこそ、幸福に至る道でしょう。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!