小中学生の留年?

社会・政治

 橋下大阪市長が基礎学力低下防止のため、小中学生への留年制度を検討するよう指示した、とのことです。
 これは国政レベルの話で、一地方自治体が決められる問題ではありません。
 しかし、道州制だとか大阪都だとか、大阪市長や大阪府知事のレベルではどうにもできない話ばかりしてきた人ですから、驚くには値しません。

 いずれ自分が総理大臣になって、独裁体制を作るための布石なのでしょう。

 私は大阪維新の会なるものの存在自体に、どこか居心地の悪さを感じます。
 また、大阪維新の会の人気にあやかろうとする人々にも。
 もし彼らに権力を与えれば、日本をミス・リードする予感を感じます。

 それはさておき。

 小中学生の留年。
 ゆとり教育のせいで大学は、高校はおろか中学レベルの補習を行わざるを得ない状況になっています。
 いわゆる名門校ですら。
 それはゆとり教育が終ったことで改善されるでしょうが、いきなり小中学生の留年とは。

 問題はどのあたりで線引きするか、ですが、世の中には勉強がどうしても苦手、という子がいて、そういう子に一定レベルに達するまで義務教育を修了させない、となると、20歳や30歳の小学生というものが、冗談抜きで生まれかねません。

 例えば私は、子どもの頃足が速く、敏捷で、器械体操やかけっこは得意でしたが、どうにも球技が苦手でした。
 とくにバレー・ボールやバスケット・ボールなどでは、取り残されたように動きが止まっていました。
 多分いくら練習したところで、少しはうまくなるにせよ、普通レベルに達することは永遠に無いでしょう。
 そうすると私は体育で留年を重ねる怖れがあります。

 同様に、どうしても作文が書けない子、算数や数学が理解できない子、英語を見るだけでじんましんを起こす子など、人それぞれ苦手な分野があります。
 それをある基準を設けてそれをクリアできないと義務教育が終らないとすると、それは人材を無駄にすることになりかねません。

 ボクシングの世界チャンピオンを目指すのに因数分解が出来る必要はありません。
 また、キャリア官僚を目指すのに殴り合いの基礎を教えても意味がありません。

 人間(じんかん)いたる処青山あり。

 人間はどこで死んでも、そこが立派なお墓になる、という意味です。
 どこへ行っても活躍の場があるということの隠喩ですが、それは基礎学力のあるなしに関わりはしません。

 さすがに平仮名も読めず、簡単な足し算も出来ないとなると生きていくのに難儀しますが、いくら教えてもそれすら出来ないのなら、それは留年させるより病院に連れて行ったほうが良いでしょう。
 なんらかの障害を持っている可能性がありますから。


 義務教育は読み書き算盤を教えて、基礎的な常識を覚えさせるさせるところ。
 新聞が読めて簡単な足し算引き算ができるのなら、それで十分です。

 基準点をどこに置くのかは知りませんが、義務教育の留年には、私は反対です。

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