格差社会という言葉が定着して久しいですね。
狭義には、正社員として就職することが適わず、非正規雇用として安い賃金で働く人々と、正社員として安定した身分で働く人々の間に横たわる格差、と解されることが多いようです。
では非正規雇用として働く人々は、なぜそうした働き方をしているのでしょう。
本人の努力が足りない、という言い方もされ、社会構造が悪いのだ、という言い方もされます。
どちらもそれなりの説得力を持っていますが、いずれも不十分のように感じられます。
非正規雇用で働く人々、もしくはフリーターやニートの人々は、時折、インターネット空間などで激しい怨嗟の声をあげ、時には秋葉原連続殺傷事件のような悲劇を生みます。
おそらく社会や正社員に怨嗟の声を挙げざるを得ない人々の健康は、日々、蝕まれているといえるでしょう。
激しい、しかし賃金の安い不安定な仕事と、その憂さ晴らしのための飲酒など、直接肉体の健康を害するような行いはもちろんですが、それ以外に、自分自身に自尊心を保てないことが、決定的な要因になって、健康を害するものと思料します。
これに対する解決策は、今のところ見つかりません。
何十年も日雇いやフリーターで生きてきた人々に、正社員として就職しなさいと言ったところで、事実上不可能でしょう。
まして親元に寄生し、何十年も働くことすら拒んできた引きこもりやニートにおいておや。
そしてじつは、安定した羨望の的であるべき正社員にも見られることです。
出世競争や、独り者が家族持ちに向ける嫉妬。
人はいつも誰かに嫉妬して、悔しがっています。
それはまるで人間という種の本能であるかのごとくです。
私もまた、精神障害発症以来、健康な人を呪い、病気休暇あけの干されたような職場の状況を恨みました。
それはおそらく、懸命に働いても生活保護程度の賃金しか得られない人が、正社員を恨む気持ちと酷似していたことでしょう。
お釈迦様は四諦八正道を説きました。
すなわち、この世は苦であることを知り、苦の原因は欲望を求め続ける心にあると知り、欲望を求める心を断ち切るべきだと知り、八つの正しい行いを行じることで苦から逃れられる、というのです。
しかし実際には、仏教成立から2500年たっても、人々は嫉妬に狂い、争いを続けていますね。
凡人は発心することはほぼ不可能だと考えれば、格差社会というのは、制度として不正だとさえ言えるのではないでしょうか。
もちろん、格差社会をただちに解消することはできません。
しかし1人1人が格差社会の成り立ちを知ることが、格差社会是正への第一歩となるものと信じます。
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