わが国では敗戦のトラウマからか、戦争には良いものなど存在せず、すべからく戦争は悪だという言論空間が広がりました。
しかし国連憲章第7章では、はっきりと、良い戦争と悪い戦争が存在することを認めています。
第7章は平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為の存在を認め、これらを悪い戦争として、これに対抗するものを良い戦争としています。
国連は国連軍を組織して悪い戦争に対して良い戦争を行うことができるとされ、過去に朝鮮戦争でこれが組織されました。
でも私の見るところ、これはただのきれい事。
人間という種は同じ種類の動物同士で組織的に殺し合うことに快感を覚える本能を持っているように感じます。
人間以外で、同じ種類の動物同士が殺し合うのは、確認されたかぎりではチンパンジーだけだとか。
人間とチンパンジーの遺伝子が98%まで一致していることを考えれば、人間とチンパンジーは似たような思考パターンで同種の動物同士で殺し合いをするようプログラミングされているものと推測します。
戦争がはじまるとうつ病や神経症などの軽度の精神障害が極端に減るということは、精神科医や心理学者の間では常識です。
某心理学者は、戦争という集団の危機が、個人的な悩みや障害を克服し、その上大規模な破壊行為がカタルシスを生ぜしめ、抑圧から解放されるのではないか、と論じています。
これは戦争の本質を突いた論であるように思います。
一般に戦争は、自国の利益追究のため、あるいは自国の主義主張のために行われると解されています。
それはそうなのでしょうが、国民が熱狂的に戦争に突き進んでいく姿は、戦争によるカタルシスを求めているとしか思えません。
現に日米開戦のニュースに接した当時の日本人の多くが、霧が晴れたような爽やかさを覚えた、と述懐しています。
そのような人間の本能を思う時、永続的に平和な状態を維持することがいかに困難であるかを思い知らされ、愕然とします。
しかしわが国には、平安時代や江戸時代など、数百年にわたって大規模な殺し合いが起きなかった時代があります。
少なくとも数百年程度の平和は維持可能と考えることもできます。
ここに人類の希望があると言ったら大仰でしょうか。
争いが起こる前に争いの種を丹念に除いていく地道な努力だけが、平和な状態を維持することを可能にする道でしょう。
もっともそれも、敵対する相手が何が何でも戦うのだと決意している場合、徒労に終わるでしょう。
ちょうど戦前の日本の政治家が、日本滅亡を怖れて対米英戦回避に尽力したことが、米英の対日開戦の決意を鈍らせることができなかったのと同じこと。
現代日本で最も危険なのは、反戦や平和を闘い取る、などという言語矛盾のような運動を繰り広げて自己満足に陥っているような、思考停止の輩の存在。
スローガンと空気に流されるそのような輩は、簡単に逆に振れるでしょう。
当時世界一民主的と言われたワイマール憲法下のドイツで、ナチという集団が、民主的手続きを経て政権を奪取し、世界中を焼き尽くしたことを思えば明かです。
私たちは常に冷静に、地道に、平和維持への不断の努力をつづけなければなりません。
同時に、いざという時のための国防力の整備にも意を尽くさなければなりません。
備えあれば憂いなしといいますからねぇ。
それらはとても面倒くさく、無駄な努力に思えるでしょう。
しかしチンパンジーと同じような戦争への欲求を本能的に持つ我々人間にできることは、それしかないのです。
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