喫煙者差別

社会・政治

 近頃の喫煙者への仕打ちは、まるで魔女裁判を思わせる過酷さです。

 大阪市営地下鉄で、回送電車を運転している際、信号待ちの間喫煙したとして、停職一年という処分をくらい、これを不服として処分の撤回を求めているそうです。

 役人の世界で停職一年を喰らえば、それは退職勧告と同じであり、多くの人は辞めていきます。
 この運転士が怒っているのは、同じ職場での喫煙でも、助役は停職三カ月、他の運転士にいたっては口頭厳重注意で済んでいるからです。
 口頭厳重注意なら、人事記録に載ることすらない、事実上のお咎めなしです。
 前の二人の事例が起きた後だから、大阪市は勤務中の喫煙を止めようと言う意志が無いと見られるのを怖れ、処分を重くしたようです。
 それにしても、煙草一本で、停職一年というのは重すぎます。
 口頭厳重注意か、せいぜい訓告くらいじゃないんでしょうかねぇ。

 昔米国で禁酒法という天下の悪法が施行されたことがありましたが、あれを思い起こさせます。
 喫煙者差別というべきものでしょう。

 もともとは、喫煙者のマナーが悪かったことが原因です。
 街中であれ駅のホームであれ所かまわず煙草を吸い、しかもそれをそこらにポイ捨てしてしまう人が多すぎました。
 あれでは喫煙者は魔女扱いされても仕方ありません。

 今、町に煙草の吸殻が落ちていることはほとんどなくなりました。
 灰皿のある場所や喫煙が許されている喫茶店などでのみ吸い、公園などで吸う時は大抵の喫煙者は携帯灰皿を持っています。

 喫煙者のマナー向上は著しいものがあります。
 それでもなお責めるのなら、喫煙者の権利を掲げて立ち上がる他ありますまい。
 
 そういえば筒井康隆「最後の喫煙者」という小説があって、25年も前に読んだ小説ですが、たしか迫害でごくわずかになった喫煙者が、禁煙運動家たちと戦い、ついには死に絶える、という話であったと記憶しています。

 筒井康隆ら愛煙家の文化人は、ナチス・ドイツが健康増進を唱えて禁煙運動を行ったことになぞらえて、現代社会の禁煙ブームは禁煙ファシズムだと批判しています。
 私はそこまで強い言葉で批判することは控えますが、ちょっと極端に思えます。
 酔っぱらって大騒ぎするのは許されるのに、ひっそりと喫煙場所で喫煙することが責められるのは奇妙です。

 要は嫌煙家も愛煙家もほどほどのところで手を打つしかないんでしょうねぇ。

最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)
筒井 康隆
新潮社

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


社会・経済 ブログランキングへ