政権

思想・学問

 今日は源頼朝が征夷大将軍に任じられた日。
 1192年のことです。
 中学生の頃、いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府と年号を覚えた方も多いのではないでしょうか。
 もう820年も前なんですねぇ。

 先日江戸東京博物館に二条城展を観に行きましたが、徳川慶喜が大政奉還する前、諸大名にその旨を告げた文書が展示されていました。
 藤原摂関家の摂関政治に始まり、保元・平治の乱を経て平氏が政権を握ってから武家が政権を握ることになった経緯から説き起こし、宗家徳川家康による江戸幕府の2百数十年も含め、天皇が自ら政権を握ることは無かったことが淡々と語られた末、わが国古来の天皇による親政に戻るべきことが語られていました。

 そこには薩長軍による倒幕に敗れた悲哀も、江戸無血開城の悔しさも感じられず、徳川慶喜という人が冷徹なリアリストであったであろうことが感じられました。

 挙句、江戸は東京という屈辱的な名前を押し付けられ、薩摩や長州、土佐や肥前の田舎侍が洋装に身を包んで空威張りし、ちょっと視察で来たはずの天皇の東京滞在は今もなお続いています。

 だいたい東の京とは何事ですか。
 江戸という親しまれた名前を棄てなければならない理由などありはしません。

 この際、今からでも今上陛下には京都御所にお帰りあそばし、国事行為などはお止しになって、和歌を詠んだり蹴鞠をしたりして、優雅に遊び暮らされてはいかがでしょう。
 あのご高齢で天皇としての仕事をこなすのは困難でしょうから、皇太子殿下に譲位させられ給い、御自らは上皇としてしずかに余生を過ごすのがよろしかろうと考えます。

 昔の天皇はわりと簡単に譲位し給うたり、逆に重祚せられ給うたりしました。
 上皇となる陛下もおられれば、出家して法皇となられる陛下もあそばしました。
 今の皇室は神道一筋のようですから、法皇というのは難しいかもしれませんが、上皇だったら問題ありますまい。

 サラリーマンのような気楽な稼業ですら60歳で定年を迎えます。
 わが国の象徴というような激務を、崩御せられるまで続けよとは、あんまり酷だと思います。

 


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