お国柄

社会・政治

 韓国が野田総理から李大統領への親書を返却するという報道を見ました。
 一国の総理大臣からの親書をつっ返すなんて聞いたことがありません。
 戦争中の国だってこんな分かりやすい敵対的行動をとらないんじゃないでしょうか。

 考えてみると、朝鮮半島というのは哀れなものです。
 漢民族が支配している中国の王朝には朝貢し、元や清など、異民族の王朝からは攻撃され、わが国も秀吉の朝鮮出兵や近代の日韓併合など、常に隣国からの脅威にさらされ、しかも勝ったためしがありません。
 挙句の果てには南北分断国家になってしまいました。

 現在、韓国はアイデンティティを守るため、もっぱら反日を利用しているようですが、相手がなければアイデンティティを保てないというのでは、自立自存の国家とは言えません。
 わが国が弱小国家に転落したら、今度はどこを敵視して国の体面を保とうとするのでしょう?

 大体友好国とか仮想敵国というのはその時代時代の国際情勢によって変化するもの。
 今は軍事同盟を結んでいる日米だって、わずか67年前までは激しい殺し合いをしていたのです。

 私は学生時代、思い立って日露戦争終結の日の英米の新聞を、辞書を引き引き読んでみたことがあります。
 論調は大きく二つに分かれていました。
 一つは大日本帝国の勝利を祝福し、今後は人種差別の無い社会を目指そうというもの。
 もう一つは露骨な黄禍論です。

 日露戦争が大日本帝国の勝利に終わった日、ロンドンの町は陰鬱に沈み込み、多くの人が喪服を着用したと書いてありました。
 当時英国は日英同盟を結んで大日本帝国を支援していたにも関わらず。
 国家的利益として大日本帝国を応援するが、国民はまがりなりにも白人お金持ちクラブの一員であるロシアが、黄色い猿に敗れたことが我慢ならなかったのでしょう。

 ただ、どちらの論調も、今後は大日本帝国を国際社会の主要プレーヤーと見なさざるを得ないことでは一致していました。
 黄禍論のほうは、これがパンドラの箱となってアジア・アフリカの植民地が立ちあがることを強く危惧していました。

 日露戦争は1905年に終結し、その40年後には第二次世界大戦が終結しています。
 その後約25年の間に、ほとんどのアジア・アフリカの植民地諸国は独立を果たし、日本人から始まった黄禍論は現実のものとなりました。
 日露戦争の大日本帝国の勝利は、現代にいたる人種差別撤廃の最大のきっかけであったことでしょう。
 まさしくパンドラの箱であったわけです。

 今では、人種差別は表向き固く禁じられています。
 月日の流れによる価値観の変化というのは怖ろしいほどです。

 その間、わが国は一貫して、他国との関係性にアイデンティティを求めることはしませんでした。
 わが国がわが国である根本は、わが国の伝統と文化の中にこそあると信じ、今もなお、それを貫いています。
 朝鮮半島との大きな違いで、これはわが国が海によって守られてきたことと深く関係しているといえましょう。
 地続きのように簡単には攻め込まれませんから。

 朝鮮半島には朝鮮半島の歴史がありますから、なかなかその精神性は変わらないと思いますが、戦争中でもないのに特定のある国を毛嫌いして反発することに国民が血道を挙げているようでは、お里が知れるというものです。
 もう少し自由民主主義国家としての建前を重視しては如何?