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 先日ロンドン・パラリンピックが閉幕しました。
 オリンピックほどの盛り上がりをみせないのはいつものこと。
 しかしパラリンピックならではの、驚異的な技を見ることができます。
 なんと言っても車椅子テニスで金メダルを獲得した国枝選手の美技は見事の一言でした。
 二本の足で走ってもなかなか拾えないテニスの速球。
 それを片手で車椅子を操作し、片手でラケットを振るのですから驚きです。
 人間というのはとてつもない能力を秘めているものだと思います。

 一方、陸上では義足が長いの短いのと、論争になっていましたね。
 身体障害の程度が大体同じ選手同士が戦うとはいっても、まるっきり同じ障害というわけにはいかないでしょう。
 障害の程度は千差万別ですから。
 ある程度幅を持たせて、このくらいまでなら誤差の範囲ということで出場選手を絞っているのですから、義足の長さでガタガタぬかすのは野暮というもの。

 わが国は前回北京大会よりも大幅にメダル獲得数が少なかったようですが、勝負は時の運。
 良い時もあれば悪い時もありましょう。

 松本零士のマンガ「銀河鉄道999」には、機械伯爵という機械の体を持ち、肉体的には老いることのない人物が登場します。
 主人公、鉄郎は機械の体を手に入れるため、999で旅をするわけですが、パラリンピックも技術が進むと、半ばロボットのような選手が登場するかもしれませんね。
 そうなると急速にパラリンピックはつまらないものになるでしょう。

 体の障害を不屈の精神で克服し、不自由な肉体のままに死力を尽くすことにパラリンピックの真骨頂があるのでしょうから。

 それにしても、アスリートにしても芸術家にしてもモーレツ・サラリーマンにしても、人間の強い意志ほど、私を畏怖させるものはありません。

 それはすなわち、どこから与えられたのか分からない、不可解な力であり、情熱であるからです。

 しかも私は、それが収入や名誉に結びつかない下らないことであればあるほど、怖ろしく感じます。
 何十年も凧揚げだけをして老いていった欧州の紳士。
 起きている間中、水につかっていたという金持ちのどら息子。

 脳の何かの作用が凧揚げや水浴によって快感をもたらし、それを何十年も続けるとは、驚異的な事態です。

 私には情熱もなく、したがって激しい精神の運動もなく、ただ日銭を稼ぐためだけにウィーク・デイを過ごしています。
 あるいはそれを幸せと呼ぶのかもしれません。
 平凡であることほど幸せなことはないのかもしれません。

 しかし私は、情熱による精神の運動の発露を、何かの方法で行える人を羨ましいと思います。

 それは仏教が戒める執着に限りなく近いものなのかもしれません。
 しかし即身成仏など到底かなわぬ身であれば、執着を人間の性と認めて、俗世間で生きるより他ありません。

 せめてもう少し根気と体力があればと、嘆くより他仕方ありません。

銀河鉄道999 文庫全18巻 完結セット (少年画報社文庫)
松本 零士
少年画報社


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