おとといは給料日でした。
就職してから10年くらいは毎年確実に給料が上がるのを実感でき、これがわが国の年功序列の良い所、平凡な能力しかなくても、長く勤めれば年相応に家庭を持ったり家を買ったりできるような制度設計になっているのだなぁと感心していました。
しかしここ数年、給料は下がる一方。
世の中景気の良い話は聞きません。
私が勤める手堅い公共団体の給料が見る見るうちに下がるのですから、これは他の業種でも同じこと、あるいはもっとひどいことが起きていると想像します。
かつてわが国は一億総中流と言われたことがありました。
貧富の差が少ない良い社会だったというわけです。
それが小泉構造改革以来、奇妙なことになってきました。
小泉改革を進めた連中は、努力した者が多くの収入を得られる社会を目指すと言っていたわけですが、それは正確ではありません。
努力したうえにずば抜けて運が良い人、もしくは単にずば抜けて運が良い人だけが高収入を得、こつこつ真面目に働いて社会を支えている多くの勤労者が馬鹿を見る社会だったと言わざるを得ません。
今もわが国は世界全体でみれば相対的に高い所得を得、豊かな暮らしを享受しています。
その一方、年間三万人を超える自殺者があり、人口比でみても世界で5番か6番くらいに自殺者が多い自殺大国です。
また、過労死や過労自殺、過労による精神障害の発症など、今のわが国では日常的な風景と化し、珍しくも無い話です。
一つには、労働を美徳とし、勤勉であることを良しとするわが国の精神文化が原因としてあげられましょう。
労働を神から与えられた苦役と考える一神教の人々とは、労働に関する価値観が根本的に異なっています。
民族性ジョークに、「草むしり」というのがあります。
イタリア人は休憩しいしいろくに草もむしらず時間が来たので帰宅する。
イギリス人は仕事はするがとっかかるまでのティータイムが長い。
アメリカ人は草刈り機がくるまで休憩。
フランス人はとりあえず芸術的な草むしりを追求。
ドイツ人は面積から必要な仕事量を割り出し、計画的に草をむしり雑草の根一つ残さず刈り取ってしまう。
日本人はドイツ人と同じ方法で草を刈ってしまうが、刈り取った後に会社まで作ってしまう。
ことほどさようにわが国民は労働や組織が好き。
それでいて西行や芭蕉など、漂白の芸術家を好むのは、その反動でしょうか。
毎月毎月給与明細をもらうたびにがっくりくるのは嫌ですねぇ。
せめて5年前の給与体系に戻って欲しいものです。
あんまり給料が下がると、有能な人はみな海外に職を求めて頭脳流出が発生し、わが国は人材を失って沈没していまいます。
私は難しい経済の話は分かりませんが、この20年に及ぶ日本経済の失速、どこまで行っちゃうんでしょうね。
わずか20数年前には、米国全土が日本資本に買われる、というジョークが、半ば本気でニューヨーカーの間で語られていたというのに。
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