日中友好

社会・政治

 今年は日中国交正常化40周年の記念すべき年ですが、尖閣諸島の領有をめぐって両国は鋭く対立しており、記念行事が中止されるなど、きなくさい空気が漂っていますね。

 領土問題は、古くはフォークランド紛争など、国の体制や友好関係とはまた別問題であるようです。
 領土の話になるとどこのどんな小国も、自国の主張を曲げるということがありません。

 はるか大昔から繰り広げてきた領土をめぐる争いが現代もなお重要な国際問題になるとは、切ないばかりです。

 尖閣諸島については、1970年頃、領海に莫大な石油が眠っているらしいことが判明してから、にわかに中国、台湾が領有を主張し始めたという経緯があります。

 わが国にとっては寝耳に水。

 現に中国が作成した古い地図には、尖閣諸島を日本領と明記しています。
 あんな所に油があるから起きた問題で、油など無い、単なる漁場であれば、問題が深刻化することは無かったわけで、わが国にとって油があるのが良いことなのか悪いことなのかわかりません。
 しかもせっかくの油も、日中台がにらみ合って、試掘することすらままなりません。
 これでは宝の持ち腐れ。
 いずれ石油も石炭のように主たるエネルギーの座を明け渡すかもしれず、そうなると尖閣をめぐる対立は何だったのか、ということになります。

 領土問題はさておいて、石油を共同開発できれば良いんでしょうけど、そういう雰囲気ではありません。
 石油という果実を分け合うことができれば、と思います。

 誠に嫌なシナリオですが、中国が武力をもって尖閣諸島を奪取しようと決意した場合、北東アジアは大変な危機的状況に見舞われます。
 中国人民軍が出張ってくれば、わが国は自衛隊を出動させざるを得ず、そうなれば米国も在日米軍を動かさないわけにはいかないでしょう。

 まさか全面戦争ということにはならないとは思いますが、地域紛争であっても彼我の兵士の血が流れるでしょう。

 せっかく67年間続いた太平の世は、崩れ去ることになります。

 そうなれば、日本人は驚くべき豹変を遂げるでしょう。
 昨日まで反核平和を唱えていた連中はにわかに中国討つべしと訴え、世論は一気に過激なものに変じるでしょう。

 戦後わが国は国防安保ということに拒否反応を示してきましたが、わが国の国民が腑抜けになったわけではありません。
 実に簡単に、力の信奉者に戻るでしょう。

 昭和陛下は昭和50年代に米国を訪問した際、現地の記者から「戦後、日本人はどんなふうに変りましたか?」と問われ、「何も変っていません」と答えて記者を唖然とさせました。
 昭和陛下は慧眼であったと言わざるを得ません。

 それが証拠に、北朝鮮の核開発が問題になると、なぜか国際世論は北朝鮮に対抗するために日本が核武装を目指すのではないかと心配する論調が多くを占めました。
 北朝鮮の核武装などどうでも良いかのごとく。
 なぜかわが国の核武装を怖れるのです。

 先の大戦で、わが国は独伊が敗れた後も、三カ月に渡って世界を相手に孤軍奮闘しました。
 その恐怖は、今も世界の人々の記憶に鮮明なようです。

 今はまだ、直接の武力対決という事態までは想像しにくい状況ですが、国際情勢は時々刻々と変化しています。
 今のうちに、どうにかして中国との友好ムードを取り戻さなければなりません。
 もちろん、そのために島を譲るようなことがあってはなりません。
 島を死守しながら相手国との友好関係を取り戻すとは、気の遠くなるような作業です。
 地道な対話を積み重ねていく他ありますまい。
 また、民間レベル、個人レベルでの交流も大切でしょう。

 戦後67年、今ほど平和を脅かされている時期はありません。
 この危機を、なんとか平和に乗り切ってもらいたいものです。


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