日本人がノーベル賞をとるたびに、日頃日本叩きに忙しい韓国マスコミは突如豹変し、嫉妬混じりに日本人学者を、そしてわが国の学術行政を賞賛し、翻って韓国はだらしない、と反省一辺倒になりますね。
韓国でノーベル賞を採ったのは平和賞の金大中だけ。
平和賞は政治的な色合いが濃く、何かと批判されます。
韓国ではこれといった文学者がいないのか、文学賞ははなから諦めているようで、科学関係の賞が欲しくて仕方ないようです。
でも地道な努力と、失敗の連続にめげないしつこさを、彼らが持っているとは思えません。
それどころか論文の盗作や、恣意的に実験結果を導いたりすることが日常茶飯事のかの国にあって、そんな馬鹿正直な学者は少ないのではないかと思います。
予算だけを考えれば、わが国の学術行政はそんなに潤沢なわけではありません。
しかし、競争的資金が多く、そのために結果として優秀な研究への選択と集中が行われていることはありうると思います。
だいたいノーベル賞なんて、狙って取れるものではありません。
むしろ気が付いたら貰っていた、という感じなのではないでしょうか。
そこがオリンピックのメダルとは大きく違いますね。
一発勝負で、狙ったから取れるわけではありませんが、そもそも狙わなければ取れないものでしょう。
今回の山中先生の場合は論文発表からわずか6年で受賞というスピード受賞でしたが、過去の例を見ていると、何十年も前に発表した基礎研究の論文が、後に実用化されて社会に貢献し、晴れて受賞にいたるということが多いようです。
ということは、韓国人学者が今画期的な論文を発表しても、受賞は20年も30年も後になる可能性が高いということになります。
彼らが自国のノーベル賞受賞者を囲んで美酒に酔うのは、相当先になりそうです。