今日は暦の上では霜降(そうこう)ですね。
露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也、と暦便覧にあります。
霜降れば 霜を楯とす 法(のり)の城 高浜虚子
法の城とは、仏法のこと。
固く守るということで、城に喩えられるそうです。
句意は、霜のようなはかないものでも、自らを恃みとして仏法を守るものだという、かなり抹香くさい句です。
原始仏教では、法を恃み、己を恃みとして犀の角のようにただ一人歩め、とお釈迦様は説いています。
漢語では自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)なんて言いますね。
おのれと仏法だけを頼りにして、一人、修行せよということですが、これがなかなか難しい。
人間はきわめて社会的な生き物で、坊主の世界にも組織があり、序列があります。
そんな中、ただ一人歩めというのは、厳しい言葉だと思います。
日本仏教では禅宗がわりとこの言葉に忠実かと思いますが、一方、自力での修行を諦め、ひたすら阿弥陀仏の衆生を救いたいという本願にすがり、他力=阿弥陀仏の力で救われようとする浄土教が庶民の広い支持を得、現在わが国の寺院では浄土真宗が最も多くの信徒を誇っています。
私は若い頃禅門の厳しい姿勢に憧れましたが、中年に至って、浄土門の易しさに惹かれるようになりました。
私の実家は日蓮宗の寺で、根本経典たる法華経にも親しみましたが、なんだか仏教説話の羅列のように感じられて、もう一つ心に響きません。
しかし、宮沢賢治や北一輝、井上日召など、熱心な法華経信者も数多く存在します。
それら法華者の生き方というのは時に激しく、そのために今も日蓮宗にはどこか過激なイメージがつきまといます。
禅宗にしても浄土教にしても日蓮宗にしても、鎌倉時代という日本版ルネサスンスの時代に花開いた日本仏教の精華というべきでしょう。
鎌倉仏教を持ちえたことは、わが国の精神文化に多大な影響をもたらしたことは間違いありません。
もっと深く、日本仏教の精華を学び続けたいものです。

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