自由という言葉は、福沢諭吉がlibertyとfreedomをごっちゃにして明治時代に造った造語だと聞き及びます。
libertyとfreedomを強引に日本語で分けるならば、libertyは責任を伴う自由であり、freedomは我がまま勝手、みたいな意味になるのかと、ぼんやり思っています。
夕方、NHK-BSで、ロックバンドでの成功を夢見る中国人青年を取材した番組が放送されていました。
ちょっとぽっちゃりした丸顔がいかにも大陸の人らしく、微笑ましく見ていました。
取材していたのは元ザ・タイガースのドラム、瞳さん。
彼は1980年代初頭に北京に留学して以来の中国通だとか。
瞳さんと中国人青年ロッカーの交流を見ていて、人と人とが直接交流することの重要性を痛感しました。
尖閣諸島の問題などで国同士は対立していても、個人レベルが交流すれば、互いに分かり合えるものなのだ、と。
しかし、瞳さんが1980年代初めの留学時代の思い出を語り始めた途端、中国人ロッカーたちの雰囲気が一変しました。
それまで和やかに将来の夢などを語っていた中国人青年たちは、突如として、判で押したように、「過去のことは知りません、将来のことが重要です。過去のことは聞きたくありません」、と言うのです。
私はその言説に、衝撃を覚えました。
1980年代初めといえば、天安門事件が起こる数年前。
中国は一党独裁国家で、自由などありませんでした。
今、当時よりは表現の自由があるにせよ、中国政府は自由を制限し、しかもそれに抵抗すべきロックバンドのメンバーたちが、カメラの前では同じような発言しかできないのです。
わが国は米国政府の庇護のもと、戦後67年の長きにわたって平和や表現の自由を享受してきました。
大正デモクラシーと呼ばれるわが国独自の自由の始まりがあったにせよ、軍国主義から一機に自由民主主義に導いたのは、米国が主導した政策によるものであったと言ってよいでしょう。
わが国は多くの英霊の犠牲をもって、今日の表現の自由や民主主義を得ました。
そのことに、深く感謝するとともに、私が戦災にも自然災害にも遭遇せぬまま43歳まで生きてこられたことは奇跡であると、幸運を喜んでいます。
しかるに、お隣の大国、中国。
一般庶民レベルでは、きっとわが国と仲良くやっていけると思いますが、国家同士となると、どうにも埒が明きません。
中国は100年前の帝国主義的発想でわが国を攻め、わが国は現代の常識で反論し、議論がかみ合うことがありません。
誠に不幸なことです。
やたらと威勢の良い中国政府高官の皆様におかれましては、近現代史をよく学ばれたらいかがかと思います。
この100年、わが国だけが欧米列強とまともに渡りあい、太平洋戦争に敗れたりといえども、一端ことあらば、頭に血が上っていつでも世界の軍事的脅威になり得るのは、世界で日本ただ一国です。
だから北朝鮮が核武装するかもというとき、なぜか世界の主要国はわが国の核武装を警戒するような発言をするのです。
北朝鮮の核武装よりも、わが国の核武装が怖ろしいわけでしょう。
反核平和教に染まってしまったかに思える現在のわが国。
それは軍国主義が真逆に触れただけで、わが国民性は戦前戦中と全く変わってはいません。
こと戦とあらば、わが日本国民は、あっという間に頭に血が上り、過去数十年の平和主義など簡単に捨て去るでしょう。
その恐ろしさを隣国はよくよくご存知のはず。
わが国民の頭に血が上る前に、冷静な判断を下されるのが、中国人民にとっても、中国政府にとっても利益になろうかと思います。
繰り返しますが、わが国は米英ら世界の軍事大国を相手に四年の長きに渡って戦い抜き、独伊敗れた後はただ一国で世界を相手に半年間も負けを認めなかった侍の国です。
もちろん今のわが国民も、その精神を受け継いでいるのですよ。