1938年の11月9日深夜、ユダヤ人の商店や家屋が略奪、暴行を受ける事件がドイツで発生しました。
いわゆる水晶の夜事件です。
その直前、ポーランド政府はポーランド国籍を持つユダヤ人の旅券には新しい認印が押印されていなければ無効、という法律を用意しました。
ドイツ以上にユダヤ人差別が激しかったポーランドでは、有効な旅券を持つポーランド人の旅券を無効とし、ポーランドへの帰国ができないように画策したのです。
ナチス・ドイツはこれに激怒。
新旅券法が成立する前にポーランド国籍のユダヤ人を大量に国境地帯に移送し、強引に帰国させようとしました。
新旅券法が成立していないにも関わらず、ポーランド政府はユダヤ人の受入れを拒否。
ポーランド国籍のユダヤ人たちは国境周辺で難民と化してしまいました。
多数の餓死者が出たそうです。
難民の一人、センデルは窮状をパリに住む息子、ヘルシェルに訴えます。
ヘルシェルはパリのドイツ大使館勤務のラートを暗殺してしまいます。
これがきっかけになり、水晶の夜事件が起きたというわけです。
一説には、ヒトラーの命令でSA(突撃隊)を組織して暴動を扇動した官製デモだと言われています。
この事件の4年前には、長いナイフの夜と呼ばれる事件がありました。
SA(突撃隊)長官のレームを中心とするSA幹部を大量暗殺した事件です。
これにより、ナチの中で強い発言力を持っていたSAの力は弱体化、替わりに髑髏のマークを帽子にあしらった黒づくめのSS(親衛隊)が強い力を持つことになります。
ナチス・ドイツは帝国主義が行きついた果てのあだ花。
わが国などは大人しいものです。
何事も極端を廃し、中庸を良しとすべきでしょう。
![]() | 水晶の夜―ナチ第三帝国におけるユダヤ人迫害 |
小岸 昭 | |
人文書院 |
![]() | 長いナイフの夜 (集英社文庫) |
金森 誠也 | |
集英社 |