昨日、亡父の本葬が盛大に執り行われました。
大導師に池上本門寺の貫主猊下をお迎えし、導師に2名の高僧を迎え、その他6名の坊主により行われ、それは華やかなものでした。
列席の100名もの坊主も貫主猊下の読経に合わせて声を張り上げ、我々坊主業界以外の道に進んだ親族は、なんだかいたたまれないような感じでした。
13時から始まった法要は弔辞、兄による謝辞も含め、90分にも及びました。
その後バスやハイヤーを大量に仕立てて赤坂のホテル・ニューオータニに移動。
父と母が結婚披露宴を行ったという因縁の宴会場で、追悼会とあいなりました。
献杯まで次から次へと日蓮宗の高僧があいさつを述べ、酒にありつけるまで1時間以上を要しました。
参っちゃいましたね。
その後会食。
でも会食が始まった頃には、なんだか疲れてしまいました。
酒を喰らっては料理を平らげる坊さんたちの旺盛な生命力は、時折私を疲れさせます。
私にもそんな生命力が欲しいものです。
久しぶりに会う親戚たちは私の痩せぶりに目を見張り、病気じゃないかと心配してくれましたが、私にしてみれば若い頃の体重に戻っただけのこと。
別にどうということはありまえせん。
てっきり納骨をすませるものだと思っていましたが、あまりに参列者が多く、納骨をやるには混乱が生じる恐れありとして、納骨は後日、近しい親族のみで行うとのことでした。
まだ亡父の関連のイベントが残っているのですね。
よく人が褒められるのは結婚披露宴と葬式の時だけだと言われますが、どいつもこいつも亡父をべた褒めしていて気持ち悪く感じましたねぇ。
亡父は宗門で出世し、宗務の最高責任者まで努めましたが、決して人間的に完璧な人ではありませんでした。
気は短いし、人を怒鳴りつけたりしていましたから。
しかし不思議と尾を引くことはなく、さっぱりしたところがあって、人の怨みを買うようなことはなかったように思います。
新住職となった兄は、亡父のように宗門での出世は望まず、自分の寺を守って静かに生きていきたいと言っていました。
私もそのほうが良いように思います。
そのほうが坊さんらしいし、いらぬ苦労をするだけだからです。
兄には寺を守り、寺の繁栄に専念してもらいたいものだと思っています。