寒い春

文学

 今日はなんだか肌寒い一日でした。
 もう4月も下旬だというのに。

 山深み 春とも知らぬ 松の戸に 絶え絶えかかる 雪の玉水

 「新古今和歌集」にみられる式子内親王の和歌です。

 山奥では春の訪れにも気付かぬまま、小屋の戸に雪解け水が玉となって流れている、と言ったほどの意味でしょうか。
 そう言ってしまうと、身も蓋もない感じがしてしまいますが、この和歌が与える印象は鮮烈です。
 詩歌の言葉というものは、そもそも解説や解釈を拒絶しているようなところがあり、古いだけで我々が操っている日本語なのですから、現代語訳などということ、無意味などころか有害だとさえ言えるでしょう。

 しかるに、中学や高校の古文の授業というのは、古典を味読するのではなく、後付けの無理目な文法を教え、それを元に現代語訳させるという、誠に愚かな方法を採っています。
 これでは古典嫌いを増やすために教えているようなもので、ただちに改善すべきでしょうね。
 日本語であればこそ、日本語のネイティブである私たちは、100遍も200遍も音読すれば、分からなかった古人の思いが素直に腹に落ちるというものです。
 それだけ読み込んで分からなければ、たぶんどういう方法で教えても無駄でしょうねぇ。

 私がどんなに頑張っても難しい数式が分からないのと同じこと。
 それだけに数式で会話できる数学者などに憧れます。

 春はまた、恋の季節。

  哺乳類では例外的に一年中発情期の私たち人間ですが、春はよりいっそう性欲の高まりを感じます。
 人間もまた、動物なのだなぁと感じます。
 もっとも、精神障害発症以来、私は使い物にならなくなってしまったので、ただ輝くばかりの生命力を感じさせる若い男女を見て、今のうちにたっぷり遊んでおくがよい、と心の底でエールを送る他ありません。

 花の色は  うつりにけりな  いたづらに  我が身世にふる  ながめせしまに

 百人一首にも採り入れられている小野小町のあまりにも有名な和歌ですね。

 

 長い雨が降っているのをぼんやり眺めているうちに、花の色は移ろっていってしまった、私のこの美しさも同じように、無駄に時間を過ごすうちに失われていってしまうのだろう、と言ったほどの意味で、絶世の美女と言われた小野小町でさえ、老化とそれに伴う容色の衰えを怖れていたのですねぇ。 

 そうであればこそ、若さゆえに襲われる狂気染みた恋心を大切にすべきでしょう。

 その小野小町も、可愛らしい和歌を残しています。

 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを

 「古今和歌集」に見られます。

 恋しい人を思いながら眠りについたら、その人が夢に出てきた、夢と知っていれば眠り続けたものを、という切ない恋心を素直に詠んでいます。
 これが片恋だとしたなら、絶世の美女に懸想された男はたいしたものですね。
 現代の流行歌にもありそうなシチュエーションです。
 しょせん男と女の間に起こることは昔も今も変わらないということでしょうか。

 私はといえば、このところ変に忙しく、気が付いたら一日が終わってしまうというわけで、季節の移ろいも、切ない恋心とも無縁な日々を送っています。
 朝から全力で仕事に取り組むため、ここ数日は晩酌を自粛し、早寝しています。
 酒を飲まずに寝れば、朝の馬力が違うようですから。
 その代り、午前中飛ばし過ぎて夕方ふらふらになってしまうという副作用がありますが。

 あぁ、季節の移ろいに敏感に、成就することのない淡い恋心などを楽しみながら日々を過ごしていければ、こんな幸せなことは無いのに。

 飯を食うためだけの卑しい仕事に一番多くの時間を費やす生活とは、因果なものですね。

 しかしまぁ、贅沢は言っていられません。
 月々の給料と、年に2回のボーナスのおかげで、飯も食えるし酒も飲めるし風呂に入って暖かい布団で眠れるのですから。

 

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